輸血拒否とは? わかりやすく解説

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輸血拒否

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 13:23 UTC 版)

輸血拒否(ゆけつきょひ)とは、輸血を拒否すること。拒否する理由としては、宗教・思想の禁忌・戒律・価値観、または医療上の意見など様々なものがある。

背景

輸血拒否の主な理由としては、宗教的な信条による宗教的理由、輸血による感染性物体の伝播の拒否、他の輸血合併症の回避などがある[1]

輸血拒否に関連する問題には輸血の必要性や輸血の代替治療などの医学上の問題のほか、自己決定権、説明義務、インフォームド・コンセントなど法的な側面を有する問題も含まれている[1]。輸血拒否が誰によるものかによって、判断能力や当事者能力のある成人患者本人が意思表示する場合、未成年者など判断能力が十分でないと思われる患者本人が意思表示する場合、本人・当事者以外の申し立てによる場合に分類される[1]

無輸血の種類

輸血拒否には大まかに言って2種類あり、一つは、いかなる状況であれ、たとえ生命の危機に陥るとしても輸血を拒否する立場(絶対的無輸血)であり、もう一つは、生命の危機や重篤な障害に至る危機がない限りにおいて輸血を拒否する立場(相対的無輸血)である。前者はエホバの証人の信者が主張する立場である。それ以外の立場からの輸血拒否、無輸血はほとんどが後者の立場となる。エホバの証人以外で絶対的無輸血を望むという事例はほとんど報告されていない。また、後述されている理由により、エホバの証人は相対的無輸血の立場は取り得ない。

輸血拒否者の主張とそれに対する批判

輸血拒否には、児童・高齢者・障害者の人権を保護するための「的観点」、信教の自由、思想信条の自由などの「宗教的・思想的観点」などの面から議論や各立場からの主張がある。

輸血拒否者が法律上の成人であり、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がある場合は、憲法で民主主義と人権の尊重を定めている国では本人の自己決定権が尊重されるので、輸血を拒否することも、その結果として死に至ることも、法律上の問題にはならない。

国連総会では児童の権利に関する条約[2]障害者の権利に関する条約[3]が採択され発効している。日本の国会では児童虐待の防止等に関する法律[4]高齢者の虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律[5]障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律[6]配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律[7]が制定されている。それらの条約・法律では、身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、ネグレクトの5種類の形態を暴力・虐待と定めて違法化し、刑罰を定めている。本人の意思に基づかない輸血拒否とその結果として患者が死に至ることは、身体的暴力またはネグレクトに該当するか、または刑法217条 - 219条の保護責任者遺棄致死傷[8]に該当する。

患者が法律上の未成年者である場合、または患者が法律上の成人であっても精神の病気や障害が原因で、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がない場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族が患者本人の自己決定権を代行して意思表示することになるが、親・子・配偶者による代理権の行使により、救命・回復が可能な患者を輸血拒否で死に至らせることが、児童・高齢者・障害者の権利保護の観点において許容されるのかが論争になっている。

1985年に神奈川県川崎市で発生した、10歳の児童が自動車事故で両脚に複雑粉砕開放骨折の重傷を負って救急救命センターに搬送され、到着時に直ちに輸血を開始すれば救命可能な状態であったが、エホバの証人の信者である両親が輸血を拒否したので医師は輸血をできずに、結果として患者が死に至った事例は[9]、当時の法律では不問にされたが、上記の条約や法律の制定により、条約の発効後、法律の施行後は、救命や回復が可能な患者を、患者の意思決定の代理人である家族がその宗教的・思想的な理由で輸血を拒否して死に至らせることは、上記の条約や法律に反する行為として処罰される可能性がある(法的な意味としては、親権者・養育権者・介護者・監護者の全面的な保護が必要である乳幼児や重度障害者を長期間放置して餓死させたなどの行為と同等になる)。

医療技術の向上により、血液を用いた治療も多岐に渡るようになっており、その議論も複雑化する傾向にある。

主張や信条

信者の信念は、新約聖書使徒15章19、20、28、29節にある「血を避けるように」との聖書教義を解釈したものとされる。エホバの証人は、使徒15章21節で使徒[要出典]ヤコブがモーセの律法に言及していることから、創世記9章4節、レビ記7章26,27節、17章12節で述べられている「血を食べてはならない」という命令と関係すると考えている。聖書では血は生命の象徴として、神聖なものとして扱われている[10]新約聖書でもイエスの「血」によって信者の罪を清めると述べられている[11]。エホバの証人は、食料を口から食べる事とチューブ食や点滴が同じであり、血を食べる事も輸血も同じく体内に取り入れる事であると解釈して、輸血を拒否する。

近年の医療の進歩により出血の少ない電気メスウォータージェットメスの利用によって輸血の必要性が少なくなる手術方法が行われるようになった。また、全血輸血に加え血液の分画成分を用いた血液製剤が多く出回り、自己血を回収しながら再使用するセルサルベージなどの手術方法も存在する事から、どれをどの程度使用できるか各自の良心によって決定できるといったことが、ものみの塔聖書冊子協会発行の雑誌「ものみの塔」などで多く論じられている。自己血輸血という手段に関しては、前述のセルサルベージなどの術中回収式や術中希釈式自己血輸血は、血液透析と同様に閉鎖回路での循環が保たれるのであれば受け入れる人もいるなど、医療処置の進歩と多様化によって、個人の良心による選択と判断が行える場面も増えている。

1985年の事件[9]のように、子供に対する輸血を、信者である親が拒否する場合には、子供の人権が問題となるが、この点エホバの証人は、輸血拒否について、子ども自身も意思表明していると回答している[要出典]。また、エホバの証人は、保護者による子供の輸血拒否は、親権(特に監護権)の範囲内で認められると主張している[要出典]

また、エホバの証人は、輸血の危険性や輸血の代替手段について強く訴えている。実際、命が危険にさらされない限りはできるだけ無輸血治療を行い患者の信仰に協力的な医師や病院も存在する。さらに、輸血拒否することによって、感染症C型肝炎等の病気を避けることが出来るという。ただし、出血を少なくするという意味での無輸血治療はどの患者にも望ましいものであるが、大量の出血が避けられない、あるいは既に大量の出血が起こっている場合、俗にいう、代替血液とは、あくまでも血液と混ぜても特に害がなく、血圧を一定の高さに維持するという役割を果たすだけであり、血液の生理的効果を代替するものではない。よって、出血多量の場合には輸血以外には患者の命を救う手段はない(この事実を明確に信者に伝えていないという批判も存在する)。

複雑多岐に渡る治療法について、医療に関しては素人である一般信者が自らの治療法について理解し、かつ専門職である医師に対して自己の立場を主張するのは難しい。このため、ものみの塔協会はこの問題における信者のアドバイザー、医療関係者との架け橋として90年代半ばよりHIS(Hospital Information Service=ホスピタル・インフォメーション・サービス)やHLC(Hospital Liaison Committee=医療機関連絡委員会)を設けているが、基本的に患者に輸血以外の手段の存在を知らす行為に終始しており、患者の命を最優先にしているわけではない。

批判

他のキリスト教を主とする宗教関係者[誰?]から、エホバの証人の血液に関する主張は拡大解釈である、教条主義であるといった批判がある。輸血を受けるということと、宗教的な救いとを結びつけるような主張について、福音書に書かれているようなモーゼ律法の字句のみにこだわった行動を戒めるイエスの言行と照らし合わせ、エホバの証人の主張はイエスの福音に反するという批判をしている[誰?]

例としては、

  • 「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(「マルコによる福音書」二章二三〜二八節)
  • 「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」(「マタイによる福音書」十二章九〜十四節)

などのものがある。

これに対し、エホバの証人は、上記のイエスの言葉は安息日に関して述べたもので、安息日に関する律法は確かにイエスによって廃されたものの、血に関する律法はモーゼ律法が誕生する前、神がノアに与えた命令に含まれていた(「創世記」9章4節)ので、今日でも有効だと考える。

なお、エホバの証人の解釈を支持する他の宗教は皆無である[要出典]

信者の子供への輸血を親が拒否する件は、一般論として、小学生程度の年齢では、輸血拒否についての判断能力や自己の宗教観・人生観を確立しているとは考えられず、法律上同意は無効と解される[要出典]法律関係者ら[誰?]の中には権利濫用にあたると主張する者も多い。そのため、保護者の権限行使といえど子供の生死を決することまでは許されず、権利の濫用であって認められないと批判している。彼ら[誰?]は、子供の生命を危険にさらす的外れな行為であり、正当な監護権の行使とは認められないと主張している。また、法解釈によっては、保護者が『医療ネグレクト』に当たるとして、児童相談所・裁判所命令による一時保護や親権剥奪が問題となる可能性もある[要出典]

輸血の危険性や輸血の代替手段について強く訴えていて、実際、無輸血治療の実績がある病院や、証人たちに協力的な医師や病院も存在するが、協力的であるからといって、医学面で彼らの主張を認めているとは必ずしも言えない。協力的な医師であっても、エホバの証人の考えについて懐疑的な見方をするものも数多い。一例として、エホバの証人が認める代替療法や分画の使用などについてはその主張が明確でないことを指摘されている[要出典]。正確には現在ある輸血の代替療法というのはあくまで出血したため下がった血圧をあげるための代替血液であり体に酸素を循環させることができる代替血液は存在しない。よって多量出血の場合は延命に輸血が必要となる場合もある。またこの科学的事実を信者は知らず、代替血液があるから輸血は一切不要との誤った知識をもっている場合がある。教団が主張する輸血の危険性については、医療行為というのは、全てにおいて何らかのリスクが発生するものであり、輸血の場合だけを過度に強調し過ぎなのではないかという指摘がある。また、代替療法については、過大評価し過ぎだとの批判が強く、代替療法の必要性は認め、推進している立場の医師でも、現時点で輸血なしには死に至るという局面が存在することを指摘をする者が多い。

証人への対処法

15歳未満の子供への輸血を親が拒む場合はほとんどの場合親の親権を一時的に停止し、輸血処置を行う。

また、エホバの証人は本人の意思によらずに輸血された場合に関しては本人に罪はないとの見解を示している。

エホバの証人が受け入れない治療法

(参考資料:「わたしたちの王国宣教」2006年11月号)

エホバの証人の受け入れ得る治療法

  • 血液分画の使用(アルブミン・免疫グロブリン・凝固因子・ヘモグロビン・ヘミン・インターフェロン)
  • セル・サルベージ(血液回収)
  • 血液希釈
  • 人工心肺
  • 透析
  • 硬膜外自家血注入法(ブラッドパッチ)
  • 血漿アフェレーシス
  • 標識
  • 自己血の血小板ゲル

(参考資料:「わたしたちの王国宣教」2006年11月号)

ただし、これらの治療法について、ものみの塔協会は、「個人の決定で受け入れることができる」としており、全ての証人がこれらの治療法について受け入れるというわけではない。自分の決定事項について、各信者は通常「医療に関する継続的委任状」(旧「医療に関する免責証書」)という法律文書に記入し、常時携帯していることが多い。

献血に対する見解

エホバの証人の見解では、献血については、輸血に加担するものとして、行わないように信者に指導している。このため、エホバの証人が献血を行うことは教義上ない。

ただし、エホバの証人が受け入れることができ、実際に多数の証人が利用している治療法の中には、献血によって賄われている血液が用いられていることも少なくないことから、この対応に対する批判の声もある。

各国での医療上の対応

憲法で民主主義と人権の尊重を定めている国では、患者がどのような治療を受けるかの自己決定権を守るための患者の権利インフォームド・コンセントが定められている。ただし、救急救命センターに搬送された患者で、患者の心身の状況により本人の意思確認が不可能であり、代理権を行使する家族に連絡がつかない、または家族が来院不可能な場合は、医師の判断で救命や回復のために治療が行われる。

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国では輸血拒否に関する裁判所の判断が数々の症例で行われてきた[1]

一方でアメリカ合衆国では輸血拒否患者に対して裁判所が輸血命令を出すことがあり、救急医療でも裁判所の輸血命令に対応できるよう体制が整備されている[1]。また、輸血拒否の意思表示をしている患者に経済的に依存している家族があって、患者が死亡すると"公共の孤児"となるような場合、それを避けるために裁判所が輸血命令を出すこともある[1]

日本

医療側の対応

未成年者の治療に対する家族からの輸血拒否についてどのように対応するかということについて、2008年、医療関連学会5つからなる合同委員会(日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会日本小児科学会日本麻酔科学会日本産科婦人科学会、座長大戸斉・福島県立医科大学教授)は以下の素案をまとめた[12]

  • 義務教育を終えていない15歳未満の患者に対しては、医療上の必要があれば本人の意思に関わらず、また信者である親が拒否しても「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は親権の乱用に当たる」として輸血を行う。
  • 15歳から17歳の患者については、本人と親の双方が拒めば輸血は行わないが、本人が希望して親が拒否したり逆に信者である本人が拒み親が希望したりした場合などは輸血を行う。

上記の指針を踏まえ対応した例として、2008年夏、1歳男児への輸血を両親が拒否したことに対し、病院・児童相談所・家庭裁判所が連携して両親の親権を停止し、男児を救命した事例がある[13]

患者の自己決定権を考慮した指針が示される一方、患者の意思能力の有無に関わらず病院単独の判断で救命のために輸血を実施する「相対的無輸血」を方針として掲げ、エホバの証人信者が求める絶対的無輸血治療を拒否し、患者に転医を勧める病院も存在する[14]

宗教的輸血拒否に関するガイドライン

上記の素案に基づき、2008年に「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」が制定、公開された[15]。以降、医療機関の多くはこのガイドラインに則って対応している。

関連判例

  • [平成12年2月29日 最高裁判所第三小法廷・判決 平成10(オ)1081、平成10(オ)1082 損害賠償請求上告、同附帯上告事件](上記1985年の事件とは異なる事件)
  • 事案:「エホバの証人」の信者Aは、無輸血手術の実績を持つ病院(東京大学医科学研究所附属病院。以後医科研)に入院し、「免責証書」(Aは輸血を受けることができないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されていた。絶対的無輸血。)に署名した上で、医師Bの手術を受けた。医科研は、輸血拒否の意思を尊重しつつも、生命の危険が生じた場合には輸血する(相対的無輸血)との方針を採っていた。Bらはこの方針を説明せず手術に着手し、手術中、輸血をしない限りAを救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした。手術は無事終了し、Aは退院した。
  • 訴訟の経緯:Aは、医科研を運営するY(国)とBらに対し、1,200万円の損害賠償を請求する訴訟を提起した。第一審は、救命のための輸血は社会的に正当な行為であり違法性がないこと等を理由として請求を棄却。この間、Aは死亡し、Aの相続人であるX1(Aの夫)およびX2(Aの長男)が訴訟を承継。原審は、医師は「相対的無輸血」との方針を説明すべき義務を認め、この義務を怠ったためにAの自己決定権を侵害したとして、55万円の損害賠償を認容。この判決に対し、Yが上告(X1らも附帯上告)した。
  • 主文:上告・附帯上告とも棄却(原審が確定)。
  • 判旨:医師Bらが、患者Aが宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有し、輸血を伴わないで肝臓のしゅようを摘出する手術を受けることができるものと期待して入院したことを知っており、右手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、ほかに救命手段がない事態に至った場合には輸血するとの方針を採っていることを説明しないで右手術を施行し、患者に輸血をしたなど判示の事実関係の下においては、右医師Bは、患者Aが右手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪われたことによって被った精神的苦痛を慰謝すべく不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

脚注

  1. ^ a b c d e f 輸血拒否患者への対応”. 日本輸血・細胞治療学会. 2019年5月15日閲覧。
  2. ^ 外務省>外交政策>日本の安全保障と国際社会の平和と安定>人権・人道・難民>人権外交>児童の権利に関する条約
  3. ^ 外務省>外交政策>日本の安全保障と国際社会の平和と安定>人権・人道・難民>人権外交>障害者の権利に関する条約
  4. ^ 児童虐待の防止等に関する法律 - e-Gov法令検索
  5. ^ 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律 - e-Gov法令検索
  6. ^ 障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律 - e-Gov法令検索
  7. ^ 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律 - e-Gov法令検索
  8. ^ 刑法 - e-Gov法令検索
  9. ^ a b 1985年6月6日神奈川県川崎市で宣教学校の準備に向かう途中の男児(当時小学校5年生)が交通事故に遭い、搬送先病院における輸血を伴う手術をエホバの証人の信者である両親が拒否。当病院は、無輸血手術無輸血手術を行う病院への転院も拒否し、男児が死亡。
  10. ^ 古代イスラエルでは子羊や雄山羊の血を祭壇に振りかけて神聖なものとした(レビ8章)
  11. ^ ヨハネ第一1:7)
  12. ^ 15歳未満、親拒んでも輸血…5学会指針案”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社. 2007年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
  13. ^ 即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で”. 47NEWS. 共同通信社. 2009年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
  14. ^ KKR札幌医療センター斗南病院 2012年6月発行 「斗南病院だより」NO.17 「斗南病院での輸血について」2013年10月18日閲覧
  15. ^ 宗教的輸血拒否に関する合同委員会 (2008年2月28日). “宗教的輸血拒否に関するガイドライン”. 公益社団法人日本麻酔科学会. 2022年12月30日閲覧。

参考文献

教団側の資料(患者向け)
教団側の資料(医療従事者向け)
一般の書籍
  • 船瀬俊介内海聡両著『血液の闇』((三五館 ISBN 978-4883206162、2014年)ー上述の「説得」その他、昭和天皇崩御の際の輸血についても触れている。副題 輸血は受けてはいけない)。

関連項目

  • 医療識別票 - 無意識になった場合、蘇生拒否などの希望や、稀血・血液型などの輸血に必要な情報、注意すべき持病などを医療関係者に伝える装身具

外部リンク


輸血拒否

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 23:14 UTC 版)

エホバの証人」の記事における「輸血拒否」の解説

「輸血拒否」および「エホバの証人輸血拒否事件」も参照 エホバの証人輸血拒否することで知られる。その根拠とされているのは聖書中いかなる生き物の血も、決し食べてならないすべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。 — レビ記17章14節(新共同訳抜粋 といった「血を避けるべき」とするいくつかの記述である。エホバの証人はこれらの記述について、輸血により血を身体入れることを禁じるものと解釈し反すれば神との関係において霊的生命とみなすものが損なわれ無意味な生活、死よりも悪いものがもたらされる考えている。こういった立場1945年協会により示されたものである。なお、自己輸血血液分画使用については、各信者良心に基づく判断委ねられている。 集団として輸血拒否するというこのような立場は、国家マジョリティ立場、あるいは医療者倫理観衝突することもある。事実輸血拒否は1980年代以降各国問題として表面化しており、エホバの証人側も問題に対応すべく1988年にホスピタル・インフォメーション・サービスという専門部局を立ち上げ情報収集・分析対応策検討を行うとともに、同部局指示のもと地域実際的な活動をする医療機関連絡委員会展開している。日本司法においては後述エホバの証人信者両親による輸血委任仮処分申請事件について大分地裁判決1985年)や東大医科研病院事件について最高裁判決2000年)を通じて患者自己決定権是認する方向で、一応の判断基準示されてきた。もっとも医療現場ではほとんどの場合、(可能なかぎり無輸血治療進めた上で救命のためにやむを得ない場合には輸血をおこなうという同意書への署名なされない場合治療をおこなわないという方針をとっており、事実上エホバの証人患者締め出すための方策となってしまっている。 親権者子供対す輸血拒否することについては、異文化尊重立場から子供のみを切り離して考えるべきではないとする見解がある一方で親権の濫用であるとの見解もある。アメリカイギリスドイツにおいては司法手続き通じて子供対す輸血おこなったという事案がある。日本では2008年日本輸血・細胞治療学会ら5学会からなる合同委員会交付した宗教的輸血拒否に関するガイドライン」において、医療側の努力によっても同意得られなかった場合は、児童相談所虐待通告し児童相談所一時保護の上児童相談所から親権喪失申し立てあわせて親権者職務停止処分を受け、親権代行者同意により輸血を行うことが定められ実際に緊急輸血を必要とした幼児病院児童相談所家庭裁判所連携により救命された例がある。 輸血拒否により多く信者死亡しているとの見解に対してエホバの証人側は、複雑な外科的処置が無輸血施されることは少なくなく、子どもを含め輸血をしなかった患者術後経過多く場合輸血をした人と変わらないか、それよりも良好であると回答している。Milligan & Bellamy (2004, pp. 36 & 39) はイギリスでは輸血量を減らすため技術的経験増加しつつあり、輸血血液重大な不足が懸念される現状踏まえると、エホバの証人患者への使用のために開発され多く技術は、血液ストック節約し輸血必要性を減らすため努力において、来る数年のうちに標準的な実践となるだろうとしている。エホバの証人はこれを、エホバの証人に対して用いるために開発され技術多く今後標準的な手法となってくだろうという形で引き、2010年Heart, Lung and Circulation誌からの“無輸血手術”は,エホバの証人に限るのではなく通常の手術の際にも普通に用いるべきものであるとの引用とともに、無輸血医療対す否定的な見方近年変わりつつあることの根拠として挙げている。

※この「輸血拒否」の解説は、「エホバの証人」の解説の一部です。
「輸血拒否」を含む「エホバの証人」の記事については、「エホバの証人」の概要を参照ください。

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