輸血拒否者の主張とそれに対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 03:22 UTC 版)
「輸血拒否」の記事における「輸血拒否者の主張とそれに対する批判」の解説
輸血拒否には、児童・高齢者・障害者の人権を保護するための「法的観点」、信教の自由、思想信条の自由などの「宗教的・思想的観点」などの面から議論や各立場からの主張がある。 輸血拒否者が法律上の成人であり、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がある場合は、憲法で民主主義と人権の尊重を定めている国では本人の自己決定権が尊重されるので、輸血を拒否することも、その結果として死に至ることも、法律上の問題にはならない。 国連総会では児童の権利に関する条約、障害者の権利に関する条約が採択され発効している。日本の国会では児童虐待の防止等に関する法律、高齢者の虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律、障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律が制定されている。それらの条約・法律では、身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、ネグレクトの5種類の形態を暴力・虐待と定めて違法化し、刑罰を定めている。本人の意思に基づかない輸血拒否とその結果として患者が死に至ることは、身体的暴力またはネグレクトに該当するか、または刑法217条 - 219条の保護責任者遺棄致死傷に該当する。 患者が法律上の未成年者である場合、または患者が法律上の成人であっても精神の病気や障害が原因で、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がない場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族が患者本人の自己決定権を代行して意思表示することになるが、親・子・配偶者による代理権の行使により、救命・回復が可能な患者を輸血拒否で死に至らせることが、児童・高齢者・障害者の権利保護の観点において許容されるのかが論争になっている。 1985年に神奈川県川崎市で発生した、10歳の児童が自動車事故で両脚に複雑粉砕開放骨折の重傷を負って救急救命センターに搬送され、到着時に直ちに輸血を開始すれば救命可能な状態であったが、エホバの証人の信者である両親が輸血を拒否したので医師は輸血をできずに、結果として患者が死に至った事例は、当時の法律では不問にされたが、上記の条約や法律の制定により、条約の発効後、法律の施行後は、救命や回復が可能な患者を、患者の意思決定の代理人である家族がその宗教的・思想的な理由で輸血を拒否して死に至らせることは、上記の条約や法律に反する行為として処罰される可能性がある(法的な意味としては、親権者・養育権者・介護者・監護者の全面的な保護が必要である乳幼児や重度障害者を長期間放置して餓死させたなどの行為と同等になる)。 医療技術の向上により、血液を用いた治療も多岐に渡るようになっており、その議論も複雑化する傾向にある。
※この「輸血拒否者の主張とそれに対する批判」の解説は、「輸血拒否」の解説の一部です。
「輸血拒否者の主張とそれに対する批判」を含む「輸血拒否」の記事については、「輸血拒否」の概要を参照ください。
- 輸血拒否者の主張とそれに対する批判のページへのリンク