訪韓
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彼女はさらに、1974年11月には、在日韓国公館におもむいて韓国人国民登録を行った。国民登録証を得れば、旅券を取得して自由に韓国への出入国が可能になる。しかし、彼女すぐに旅券申請は行わず、その後4年間は目立った動きを見せなかった。 1978年5月、彼女は神戸の異母弟に全州市に住む実姉に会いに行こうと声をかけ、「母国訪問団」(墓参団)の一員として訪ねたい旨を伝えると、異母弟はすぐさまこれに同意して民団事務所に申請の手続きを行った。1978年6月、異母弟とともに母国訪問団で堂々と韓国の空港に降り立った彼女は、親類と会う時間を利用して申順女の実姉と「再会」した。ここでも彼女は迫真の演技を見せ、涙を流して60年ぶりに「再会」した姉に、父母の名を出し、幼いころの思い出話を語り、妹として振る舞った。姉はすでに80歳を超えていて、視力は衰え、記憶力も低下していたので、何の疑問もなく彼女を信じた。李善実は「姉」の子息にも日本製のカメラや腕時計をプレゼントしており、彼らも当然、本当の叔母だと信じ、アリバイ工作は成功したのである。 日本に戻った彼女は、すぐに姉に対して、ゆくゆくは自分も故郷に住みたいという内容の手紙を出し、半年後、おみやげをたくさん持参して韓国を再訪、姉の家に1カ月滞在し、姉の子どもたち夫婦とは2泊3日の済州島旅行まで行って親交を深めた。1979年4月以降は工作船で北朝鮮に戻り、約4カ月滞在してこれまでの活動を報告、さらに今後の任務について協議を重ねた。1979年9月、李善実は再び韓国を訪問、「日本で住んでいた家を売却して1,000万を持ってきたのでソウル市内に適当な家を見つけてほしい」と姉の子息の妻に持ちかけた。彼女はこれを受けて不動産業者を何軒かまわり、結果としてソウル市内での住宅購入に成功した。これが、韓国での彼女のアジト(秘密基地)となった。
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