行進連隊第I大隊
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「ジャン=クレマン・ラブルデット」の記事における「行進連隊第I大隊」の解説
1945年3月1日、フランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg)は不利な状況を打破するために「シャルルマーニュ」師団の戦地再編成を実施した。間もなく、クルケンベルクの命令を受けた第58SS所属武装擲弾兵連隊長エミール・レイボー武装少佐(W-Stubaf. Émile Raybaud)によって、師団最良の部隊を集めた「行進連隊」(Régiment de Marche)、それ以外の部隊を集めた「予備連隊」(Régiment de Réserve)が編成された。 この時、ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇連隊付上級士官候補生はアンリ・フネSS義勇中尉が指揮を執る行進連隊第I大隊の副官に任じられた。「シャルルマーニュ」師団が行進連隊・予備連隊として再編成されてから数日後、ケルリン脱出時の「シャルルマーニュ」師団行進連隊第I大隊の編成は次の通り。 「シャルルマーニュ」師団行進連隊第I大隊(Ier Bataillon / Régiment de Marche):1945年3月 ポメラニア 大隊長 アンリ・フネSS義勇中尉(SS-Frw. Ostuf. Henri Fenet) 副官 ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇連隊付上級士官候補生(SS-Frw. StdObJu. Jean-Clément Labourdette) 第1中隊 シャルル・ルメグ武装中尉(W-Ostuf. Charles Roumégous) 第2中隊 リュシアン・アンヌカールSS義勇曹長(SS-Frw. Oscha. Lucien Hennecart) 第3中隊 ジョルジュ・フラマン武装大尉(W-Hstuf. Georges Flamand) 第4中隊 ピエール・クーヴルSS義勇上級曹長(SS-Frw. Hscha. Pierre Couvreur) 1945年3月4日から5日にかけての夜、ケルリン(Körlin、現カルリノ(Karlino))でソビエト赤軍に包囲された「シャルルマーニュ」師団は3部隊に分かれて包囲突破を開始した。先鋒は師団司令部およびフネの行進連隊第I大隊で、彼らにはクルケンベルクSS少将をはじめとするフランスSS部隊査察部のドイツ人将兵も随伴した。 3月5日朝、クルケンベルクとフネの行進連隊第I大隊の将兵はベルガルト(Belgard、現ビャウォガルト(Białogard))南部の森林地帯に身を潜めていた。彼らは敵に発見されることを避けるために焚き火もタバコも禁止し、降りしきる雪と凍えるほど低い気温の中で身を震わせていた。 作戦会議終了後の午前9時、フネが先頭に立った行進連隊第I大隊は移動を再開した。彼らは森の中を進み、夜間は暗闇に乗じて移動を続け、3月6日夜にドイツ陸軍のオスカー・ムンツェル少将(Gen.Maj. Oskar Munzel)麾下の軍団が再集結中のメゼリッツ(Meseritz、現ミエンジジェチ(Międzyrzecz))に到達することができた。大隊を赤軍の包囲からほぼ無傷で脱出させたこの功績により、大隊長アンリ・フネSS義勇中尉には1945年3月6日付で一級鉄十字章が授与された。 この時点で約800名の行進連隊第I大隊は、後にハンス・フォン・テッタウ歩兵大将(Gen.d.Inf. Hans von Tettau)の「フォン・テッタウ」戦闘団に組み込まれた。そして、行進連隊第I大隊(「シャルルマーニュ」師団の残余)はバルト海沿岸部の都市ディフェノ(Dievenow、現ジブヌフ(Dziwnów))への突破作戦に参加し、ポメラニア戦線からの撤退に成功した。
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行進連隊第I大隊
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「行進連隊第I大隊」の解説
一方、予備連隊に先んじてケーリンを出発したアンリ・フネSS義勇中尉とグスタフ・クルケンベルクSS少将の行進連隊第I大隊は、3月5日朝の時点でベルガルト南部の森林地帯に到達していた。彼ら行進連隊第I大隊は森の中を進み、夜間は暗闇に乗じて移動を続け、3月6日夜にドイツ国防軍のオスカー・ムンツェル少将(Generalmajor Oskar Munzel)麾下の軍団が再集結中のメゼリッツ(Meseritz、現ミエンジジェチMiędzyrzecz)にほぼ無傷で到達することができた。 この時点で約800名の行進連隊第I大隊は、後にハンス・フォン・テッタウ歩兵大将(General der Infanterie Hans von Tettau)の「フォン・テッタウ」戦闘団に組み込まれ、バルト海沿岸部の都市Dievenow(現ジブヌフDziwnów)への突破作戦に参加し、ポメラニア戦線からの撤退に成功した。
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行進連隊第I大隊
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1945年3月1日、フランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将 (SS-Brigf. Gustav Krukenberg) は不利な状況を打破するために、「シャルルマーニュ」師団の戦地再編成を実施した。間もなく、クルケンベルクの命令を受けた第58SS所属武装擲弾兵連隊長エミール・レイボー武装少佐 (W-Stubaf. Émile Raybaud) によって、師団最良の部隊を集めた「行進連隊」(Régiment de Marche) 、それ以外の部隊を集めた「予備連隊」(Régiment de Réserve) が編成された。 この再編成に伴い、アンリ・フネSS義勇中尉は「シャルルマーニュ」師団最良の部隊で構成された「行進連隊第I大隊」(Ier Bataillon / Régiment de Marche) の大隊長に任命された(ただし、これまで指揮していた第57SS所属武装擲弾兵連隊第I大隊のほとんどの中隊は激戦で損害を被っていたため、フネの主な部下の何名かは再編成に伴って他の隊へ転属となった)。 副官 ピエール・ユグSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Pierre Hug) → 予備連隊第I大隊第3中隊長 1./57 ジャン・ブラジエSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Jean Brazier) → 予備連隊第I大隊補佐 2./57 イヴァン・バルトロメイSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Ivan Bartolomei) → 予備連隊第I大隊第2中隊長 3./57 マックス・キカンポアSS義勇曹長 (SS-Frw. Oscha. Max Quiquempoix) → 師団司令部馬車中隊先任曹長 フネがこれまで指揮を執っていた第57SS所属武装擲弾兵連隊第I大隊の中で、補佐官ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇連隊付上級士官候補生、第4中隊長(第4中隊の人員はほぼ無傷)ピエール・クーヴルSS義勇曹長は引き続きフネの指揮下に入った(彼ら以外の主な指揮官は別の隊から選抜された)。 「シャルルマーニュ」師団行進連隊第I大隊 (Ier Bataillon / Régiment de Marche):1945年3月1日 ポメラニア 大隊長 アンリ・フネSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Henri Fenet) 副官 ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇連隊付上級士官候補生 (SS-Frw. StdObJu. Jean-Clément Labourdette) 中隊長 第1中隊 シャルル・ルメグ武装中尉 (W-Ostuf. Charles Roumégous) 第2中隊 リュシアン・アンヌカールSS義勇曹長 (SS-Frw. Oscha. Lucien Hennecart) (第3中隊 ジョルジュ・フラマン武装大尉 (W-Hstuf. Georges Flamand) ※当初は行進連隊第I大隊の一部ではなかったが、3月3日の援軍到着に伴って第I大隊に配属) 第4中隊 ピエール・クーヴルSS義勇上級曹長 (SS-Frw. Hscha. Pierre Couvreur) 1945年3月2日午後6時、戦地再編成を終えた「シャルルマーニュ」師団のフランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将のもとへ、「師団をケルリン(Körlin、現カルリノ (Karlino):ベルガルトから8キロメートル北西に位置する都市)へ移動させよ」という命令が「司令部」(具体的な司令部名は不明)から通達された。この命令に従い、「シャルルマーニュ」師団はポメラニアの交通の要衝ケルリンの防衛任務(赤軍の進撃を阻止すると同時に、友軍がバルト海沿岸部の都市コールベルクへ撤退できるよう援護する任務)に就いた。
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