包囲突破開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:43 UTC 版)
「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「包囲突破開始」の解説
1945年3月4日午後11時、「シャルルマーニュ」師団はケーリンからの包囲突破を開始した。アンリ・フネSS義勇中尉の行進連隊第I大隊と師団本部から成る先鋒部隊は、行軍速度低下の要因となる重装備を命令通りにすべて遺棄し、順調に行動した。 フネの大隊が出発して2時間が経った後の3月5日午前1時頃、ケーリンに留まっていた師団長エドガー・ピュオ武装上級大佐は考えを改め、先鋒部隊に合流するために幕僚数名を連れて自動車を飛ばした。しかし、その途中で車が故障したため、彼らは徒歩でケーリンに戻り、ヴィクトル・ド・ブルモン武装大尉の予備連隊を集合させた。 3月5日午前2時頃、「シャルルマーニュ」師団の中核である予備連隊はケーリンからの移動を開始した。しかしこの時、彼らはクルケンベルクSS少将からあらかじめ伝えられていた命令に背いて、行軍速度低下の要因となる馬車や不要な重装備を伴っていた。さらに、指揮官ド・ブルモン武装大尉が2キロメートル先にまで迫ったベルガルトの状況を把握する間、行軍停止を命じられた予備連隊は真夜中の寒空の下で長時間待たされ、次第に彼らの士気は低下していった。 やがて隊列から離れて勝手な行動をとる者も現れ始め、ケーリンに戻ろうとする馬車と後続の馬車が事故を起こし、荷車が横転して馬が逃げ出すなど、予備連隊の状況は悪化の一途を辿った。連隊の将兵と同様に指揮官ド・ブルモン武装大尉も絶望感に苛まれたが、それでもなお、夜明け頃に予備連隊は炎上するベルガルトの町の南西部の森に到着した。
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