包囲戦用の武器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 19:47 UTC 版)
「新アッシリア帝国の軍事史」の記事における「包囲戦用の武器」の解説
最も一般的で、非常に安価な包囲戦の武器は、はしごである。しかし、はしごは倒されやすいので、アッシリア人は援護射撃として、敵に雨のように矢を降らせた。交代制で矢を射る弓兵を、盾兵が防御した。他には、敵の城塞の地下に坑道を掘って土台を崩すという方法がある。紀元前9世紀のアッシリアの浮き彫りには、はしごを用いて城壁をよじのぼる兵士が描かれているほか、槍を用いて城壁の下から泥と粘土をかき出している兵士もいる。城壁の下に一人の兵士が描かれていることは、基礎を崩して城壁を壊す作戦が用いられたことを示唆する。 破城槌(はじょうつい)は、包囲戦にあたってアッシリア軍に最も貢献したものの1つである。それは、戦車のような木の枠組みと4つの車輪からなる。小さな塔がついていて、その上には弓兵が乗り、装置が前進する間に援護射撃を行う。それが目的地に着いた時、その主要な武器である巨大な槍が、敵の城壁をたたき壊して砕くために用いられた。この兵器は、石の壁に対してはほとんど効果がないが、この地域では石以外の、例えば泥などの素材を用いて城壁が造られていたことには留意する必要がある。乾燥したものであっても、泥によって造られた城壁は、この兵器で攻撃できた。やがて城壁が強化されるようになったが、アッシリア人はより巨大な破城槌を作って対抗した。ついにそれは、先端に金属を付けた、大きくて長い丸太のようになった。より大きな武器による強打には、石で造られた城壁でさえ持ちこたえることができなかった。より大きな兵器は、より多くの弓兵を乗せることができた。火による攻撃から身を守るため(ラキシュの包囲戦では攻守両軍が火を用いた)、破城槌は濡れた動物の皮で覆われた。これらの皮は、戦いの最中に乾燥しても、いつでも再び濡らすことができた。 余は46の街を占領した・・・。破城槌を運べるまで(城壁付近の)坂を強固にし、歩兵の攻撃、坑道、城壁の破れた部分、攻城兵器を用いて。 —センナケリブ 攻城塔については、城壁の前に川がある場合には、水に浮かぶものさえ用いられたことが記されている。
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