包囲戦準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:14 UTC 版)
「シュラクサイ包囲戦 (紀元前397年)」の記事における「包囲戦準備」の解説
ディオニュシオスとシケリア・ギリシア軍はシュラクサイに戻ると、不可避であるカルタゴ軍の攻撃に備えて篭城準備を開始した。レオンティノイとシュラクサイ周辺の要塞には人員が配備され、同盟からの離脱を防止し、イタリアとギリシア本国に傭兵雇用のための代理人を送った(ドーリア人都市であるシュラクサイと、スパルタの母都市であるコリントスには特に熱心に働きかけた)。郊外の要塞は、収穫の安全を確保するとともに、カルタゴ軍に対する嫌がらせ攻撃の基地として使用され、そこにカルタゴ軍を誘引してシュラクサイから引き離す役目を持っており、カルタゴがこれに対処する間にディオニュシオスは準備時間を得ることができた。それぞれの要塞は比較的短時間で降伏するであろうが、カルタゴ軍はそこに守備兵を置く必要が生じる。 しかし、ヒミルコはレオンティノイも周囲の要塞も無視し、陸軍をゆっくりとシュラクサイに進軍させた。シュラクサイに到着するとエピポライ台地の周囲に野営地を築いた。三段櫂船250隻と鹵獲した五段櫂船からなるカルタゴ海軍は、陸軍到着と同時に到着し、戦利品を誇示しつつ、完璧な戦列でシュラクサイ沖を通過した。続いて輸送船が港内に停泊した。ヒミルコには包囲戦の準備ができていた。シュラクサイ海軍は当初180隻の軍船を持っていたが、うち100隻をカタナ沖の海戦で失っており、残存艦隊のみが港内にあった。
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