1739年の遠征とは? わかりやすく解説

1739年の遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 01:26 UTC 版)

チカソー戦争」の記事における「1739年の遠征」の解説

1736年のオグーラ・チェトカとアキアでの大敗北の後、北ルイジアナと南ルイジアナは、チカソー族分断したままだった。チョクトー族チカソー族に対して容赦ない圧力を掛け続けていた。ド・ビエンビーユは本国からの命令受けて即座に2回目の大遠征の準備始めた今回包囲戦用の武器補い前回欠けていた協働行動準備整えた大砲工兵技師および工夫揃えた兵士多く、馬、平素の肉、兵士物資のための前線基地、軍と装備を運ぶための道までを準備した。 ド・ビエンビーユは、技師調査から大砲チカソー族集落のある高地まで運べるという保証得て今回ミシシッピ川遡る経路選んだミシシッピ川セントフランシス川と合流する場所の西堤資材貯蔵所を建てたヌーベルフランス中の兵士受け取るために現在のウルフマーゴットミシシッピ川対岸第4チカソー絶壁にド・ラサンプシオン砦を造った1739年8月集合には3つの分遣隊到着した。ド・ノヨーはニューオーリンズ衛兵を、デ・ラ・ビッショニエールはシャルトル砦から民兵200名のイリノイ族を、およびセロロンは相当数北方インディアンカナダ士官学校生中隊を連れてきた。1736年のように南部軍遅かった。ド・ビエンビーユは11月になってやっと到着し軍勢検分した。総勢は1,200名の白人と2,400名のインディアンであり、1736年攻撃時のおよそ2倍であった。 しかし、軍隊は既に疫病災いされていた。このことに加えてその後の月の「愚行」の間、食糧不足、不満、脱走がついて回ったチカソー族集落までは190km残っていて、ライフル銃だけの兵士には大したことが無い距離であるが、包囲戦武器を運ぶ部隊には大変なことだった。兵士荷車馬車作ったが、ド・ビエンビーユは工兵技師によって計画された道を通ることとしていたので歩み鈍く通行難しくなった。1740年1月までに、高地の道が切り開かれたが、そうしている間にも物資供給妨げられ状況は耐え難いものになってきた。軍隊様相保っていたものの、2月になって作戦会議開かれ「王の軍隊という評判を汚すことなくしてこれ以上進めない」という結論達した3月になって遂に、セロロンが士官学校生中隊、100名の正規兵および400ないし500名のインディアン率いて先行することになった部隊1736年にダルタギエットが辿ったのと同じ道を進み直ぐに集落到着した。セロロンはインディアン達に何をしても良い告げ一方で和平申し出にも対応できるようにしていた。数日の間小競り合い続き交渉が行われることになったチカソー族チョクトー族から圧力を受け続けており、今回はド・ラサンプシオン砦で十分な準備なされていることを知っていたので、妥当と考えられる慣習的な提案を受けるものと思っていた。フランス軍残っているナチェズ族の者を全て解き放つよう要求したチカソー族は、ナチェズ族が皆狩り行っているか、あるいは永久にチカソー族土地離れた返答したが、何人かのナチェズ族とフランス人捕虜引き渡すことで和平がなったチカソー族その後数年温和しくしていたが、イギリスとの交易続け、その攻撃的姿勢再開することで失う物は何も無かった包囲戦用兵器は未開荒野通ってチカソー族集落まで届かなかった。軽装兵士のみがやってくることができたが、その防御施され集落には通用しなかった。 ド・ビエンビーユは力なく勝利を宣言した勝利ではないとしても、少なくとも可能な予防措置取られたと主張した。しかし、この遠征にはルイジアナ植民地全体通常の年間予算から考えるとその3倍の費用要し、しかも何も目に見える成果残せなかった。ド・ラサンプシオン砦にいた1200名の白人のうち500名を含み病気数百名が死んだ。何ヶ月時間要したことに明確な説明加えられなかった。国内政治および重い装備なくして戦闘には行きたくないということが、あり得る理由とされた。

※この「1739年の遠征」の解説は、「チカソー戦争」の解説の一部です。
「1739年の遠征」を含む「チカソー戦争」の記事については、「チカソー戦争」の概要を参照ください。

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