1733年提案の寸法規定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/16 14:06 UTC 版)
「1719年の寸法規定」の記事における「1733年提案の寸法規定」の解説
イギリスの造船技術が停滞に陥っている間に、フランスをはじめとするイギリス海軍の仮想敵国らは自国の軍艦を発達させており、ついには海軍会議が無視できないほどになった。経費のかかる大艦隊を維持していたイギリスの艦艇はコスト削減のために歴史的に大陸国の同等艦と比べて小型になる傾向があった。しかし1729年までに1719年規定の艦艇は小さすぎるのではないかという意見が表明されるようになり、新造艦センチュリオンと再建造のリッポンは規定とは若干異なる大きさで建造された。 1732年、海軍本部は各工廠に対して艦艇設計の改良案の聞き取り調査を行った。これにたいする返答は保守的なもので、数値の小規模な変更を提案したにすぎなかった。変更についての議論は纏まらず、結局1733年5月に当時艦艇監督官であったジェイコブ・アックワースが提出した50門および60門艦の拡幅を中心とする改良案が採用された。一ヵ月後に別種艦に関する案も採用され、これらの値が新たな寸法規定として効果的に運用され始めた。しかし厳密に言えばこれは正式な規定ではなく、「1733年の寸法規定」と言ったものは存在しない。当時の資料によれば海軍本部はもっと広範囲にわたる改変を意図していたが、海軍会議には造船の知識を持つ人間が不足していたため大規模な改革は不可能だったという可能性が示唆されている。
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