1740年代
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1740年代(せんななひゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1740年から1749年までの10年間を指す十年紀。
- ^ Whitehall Evening Post 1749-09-19. “Baseball: Prince of Wales played 'first' game in Surrey”. BBC News. (2013年6月10日) 2019年6月26日閲覧。
- ^ 山本 2007, pp. 122–123.
- 1 1740年代とは
- 2 1740年代の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
1740年代
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詳細は「1740年代」を参照 1740年プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世死去、その息子フリードリヒ2世が即位。この年にフリードリヒ2世はヴォルテールに依頼し、オランダで『反マキャヴェリ論』を出版。 神聖ローマ皇帝カール6世死去、その長女マリア・テレジアがハプスブルク家家督を継承。 オーストリア継承戦争( - 1748年)。 オランダ領東インドでバタヴィア華僑虐殺事件。 清朝が漢人の満洲への移住を禁止する封禁令を出す。 1741年ロシアでイヴァン6世が政変で廃位され摂政アンナ・レオポルドヴナが追放される。女帝エリザヴェータが即位。 ジョナサン・エドワーズの説教「怒れる神の御手の中にある罪人」がコネチカット州エンフィールドで行われる。1730年代から1740年代にかけての植民地アメリカにおける「第一次大覚醒」(信仰復活運動)に大きな影響を与える。 1742年松平乗邑らにより公事方御定書が制定される。 教皇ベネディクトゥス14世が教皇勅書「エクス・クオ・シングラリ」にて典礼論争におけるイエズス会の宣教方法を改めて禁止とする。 ロシア人探検家セミョン・チェリュスキンがユーラシア大陸最北端のチェリュスキン岬に到達。 ヴィッテルスバッハ家の神聖ローマ皇帝カール7世が即位(1437年以来のハプスブルク家出身でない皇帝)。 1743年メーワール国王のジャガト・シング2世がウダイプルのピチョーラ湖の小島にジャグニワース宮殿を建設( - 1746年)。 1744年クリンケンベルグ彗星の最接近(「1744年の大彗星」)。 第一次カーナティック戦争。 1745年徳川家重が江戸幕府第9代将軍となる。老中松平乗邑が解任される。 アラビアのサウード家がイスラーム教ワッハーブ派に帰依し同派の守護者となる。 神聖ローマ皇帝カール7世死去、マリア・テレジアの夫君フランツ1世が即位。 1746年ペルーのリマ・カヤオ沖地震(M8.6〜8.8)。 乾隆帝が紫禁城乾清宮養心殿に三希堂を設置する。 カロデンの戦いでチャールズ若僭王の反乱が失敗し、ジャコバイト運動は壊滅。反乱を支持したスコットランドの氏族制度(クラン)を解体するため「1746年の衣装法(英語版)」などの法令が制定される。 1747年桜町天皇が譲位し、第116代桃園天皇が即位。 ディドロとダランベールが『百科全書』の共同編集者となる。 ナーディル・シャーが暗殺され、アフシャール朝から各地に独立勢力が生まれる。カブールを中心にアフマド・シャー・ドゥッラーニーがドゥッラーニー朝(サドーザイ朝)を興す。 ジュゼッペ・カスティリオーネらにより円明園付属の西洋楼海晏堂の建設が始まる。 1748年モンテスキューの『法の精神』が刊行される。 スペインのバレンシア地方のシャティバを中心に大地震が発生。 加賀騒動。 1749年第二次カーナティック戦争。 シェーンブルン宮殿が完成する。 ノバスコシア植民地の新総督府としてハリファックス市が建設される。
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