包囲網からの脱出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 13:47 UTC 版)
「ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)」の記事における「包囲網からの脱出」の解説
1945年3月4日から5日にかけての夜、ケルリンでソビエト赤軍に包囲された「シャルルマーニュ」師団は3部隊に分かれ、包囲突破のための行動を開始した。この時、グスタフ・クルケンベルクSS少将やヴァルター・ツィンマーマンSS大佐のフランスSS部隊査察部は、包囲突破の先鋒を務めるアンリ・フネSS義勇中尉(SS-Frw. Ostuf. Henri Fenet)の行進連隊第Ⅰ大隊(Ier / Régiment de Marche)に加わっていた。 3月5日朝、クルケンベルクやツィンマーマンが同行しているフネの行進連隊第Ⅰ大隊はベルガルト(Belgard、現ビャウォガルト(Białogard))南部の森林地帯に身を潜めていた。作戦会議終了後の午前9時にはフネが先頭に立って移動を再開し、3月6日夜にはドイツ国防軍のオスカー・ムンツェル少将(Gen.Maj. Oskar Munzel)麾下の軍団が再集結中のメゼリッツ(Meseritz、現ミエンジジェチ(Międzyrzecz))に到達することができた。 3月8日午後、ツィンマーマンは兵を集め、フランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将(1888年3月8日生まれ)57歳の誕生日を祝った。クルケンベルクは短い演説を催して部下一同からの祝福を感謝し、彼ら「シャルルマーニュ」師団将兵の奮戦を讃えた(その後、クルケンベルクは師団将兵に行軍を再開するよう命じた)。
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