1945年2月以降 第一海防隊-沈没とは? わかりやすく解説

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1945年2月以降 第一海防隊-沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 17:48 UTC 版)

能美 (海防艦)」の記事における「1945年2月以降 第一海防隊-沈没」の解説

1945年昭和20年2月4日船団護衛しサイゴンを発、5日第一護衛艦隊隷下第一海防隊に編入される6日シンガポール着。11日、ヒ88F船団(2隻)を護衛してシンガポール発。途中キノン湾ツーラン経由し船団能美修理のため24日香港寄港する26日能美修理終わり船団香港発。3月8日門司着。同日呉へ回航し、呉海軍工廠兵器換装を含む修理整備行った。『第一海防隊(海防艦能美戦時日誌』の記述では、呉での修理中に九四式爆雷投射機を撤去して三式爆雷投射機とし、水中探信儀仮称三式水中探信儀改二に換装、さらに一号電波探信儀三型改一を装備したとある。 呉で修理中の3月20日第一海防隊司令海防艦指定され海防隊司令池田大佐乗艦した。4月2日修理終わり出渠。8日まで整備試運転行い9日門司回航された。11日護衛隊能美三宅、第31海防艦)はモシ02船団特設運送船壽山丸、3,943トン便乗者約400名)を護衛して門司出発した13日午後モシ02船団部隊済州島飛揚島の泊地到着し護衛3隻(能美、海31三宅)は交替哨戒することになった14日未明泊地侵入してきたアメリカ潜水艦ティランテの魚雷攻撃により、壽山丸が大爆発起こして沈没した戦死者360名)。能美はティランテを追跡したが、ティランテが発射した魚雷2本のうち1本が能美艦橋直下命中した能美はその衝撃弾薬庫誘爆、艦体を両断され轟沈した。第一海防隊司令池田大佐海防艦長の箟源三郎少佐以下約130名余の乗組員戦死した。なお追跡してきた第31海防艦対し、ティランテは最後魚雷発射した命中した魚雷不発であったが、衝撃で第31海防艦爆雷誘爆、同艦は転覆して沈没した戦死者39名)。唯一生き残った三宅は、応援海防艦粟国や第39号海防艦とともに対潜掃討をおこなうが、ティランテを捕捉できなかった。 5月25日能美第一海防隊と御蔵型海防艦から削除され帝国海防艦籍から除かれた。

※この「1945年2月以降 第一海防隊-沈没」の解説は、「能美 (海防艦)」の解説の一部です。
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