編制例
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「警備隊 (府県警察部)」の記事における「編制例」の解説
警視庁警備隊 特別警備隊を改編し、本部(警視庁内)及び6個大隊体制で発足。各大隊は四個中隊(中央大隊のみ五個中隊)、中隊は二個小隊、小隊は四個分隊編成とされた。人員は隊長以下2,550名であった。また装備として、各地区大隊に無線自動車(中型バスに無線機を装備したもの)を配置していた。 特別警備隊当時は本部・部隊とも警視庁本庁内に設置されていたが、警備隊へ拡充後は当初より方面別に担当区域を区分した分駐体制を採り、大隊の名称もそれに応じたもの(中央・南部・西南部・西部・北部・東部)としていた。 東京大空襲以降、警備体制の再編を図ることとなり、1945年(昭和20年)5月以降担当区域を七方面とし、部隊編成としては三多摩大隊と特設大隊の二個大隊を追加した八個大隊体制に移行して終戦を迎えた。 空襲時の警備・救助活動等に従事したほか、終戦直後に発生した愛宕山事件に際しては、中央大隊が警備・鎮圧に出動している。 埼玉県警備隊 勅令第243号に基づき新設され、本部及び1個中隊体制で発足。編制は概ね規定通りであったが人員は隊長以下64名、隊長は警務課長(警視)が兼務した。1945年2月以降は規定通り74名に増強された。装備として、隊員輸送用の大型貨物自動車1両のほか、シャベル、鳶口、バケツ、ロープ、掛矢、杭、更に隊員自製の担架と梯子を備えていた。 福岡県警備隊 勅令第243号に基づき新設され、本部及び3個大隊体制で発足。編制は概ね規定通りであり、人員は隊長以下482名であった。また装備として、中隊毎に1台の隊員輸送用車両(計6台)、およびスコップ、つるはし、ロープ、担架などを備えていた。 工業地帯や重要港湾施設の集中する北九州地区での活動を主任務とし、分駐体制は採らず、本部・部隊とも小倉市到津に設置されていた。大隊の名称は番号制(第一〜第三)であった。 長崎県警備隊 勅令第243号に基づき新設され、本部及び1個中隊体制で発足。編制は概ね規定通りであり、人員は隊長以下74名であった。また装備として、貨物自動車2台、サイドカー1台、自動自転車を配備していた。 当初は分駐体制を採らず、隊は長崎市に設置されていた。 1945年(昭和20年)6月以降、第二小隊を佐世保市に分駐させ、長崎県警備隊佐世保分駐隊と称した。
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編制例
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軍人編成となった後の特設設営隊のうち、甲編制と称する最も本格的な編制である。このほか乙から丁の編制が存在した。また、具体的な任務が飛行場設営であるのか、築城であるのかなどにより詳細は異なる。部隊番号が100番以降は築城任務、300番以降はトンネル・地下工場疎開任務の編制となっている。 設営隊本部 - 甲編制では隊長は佐官。乙編制では尉官でも可で、技術大尉を長とすることが多かった。 第1中隊 - 建設機械担当。ブルドーザー、牽引式スクレイパーなど十数両。トラック約20両(うちダンプカー数両)。 第2中隊 - 飛行場・運搬路担当。 第3中隊 - 居住施設・耐弾施設・桟橋担当。 第4中隊 - 隧道(ずいどう=トンネル)など担当。 その他 - 運輸隊(大発動艇9隻)、医務隊、主計隊、通信隊 計:1054名。ほかに甲編制では軍属1000名以内を置くことができる。武装:小銃829丁、軽機関銃24丁、重擲弾筒48門。(理論上の装備数で実際には大幅に不足。)
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