編制経緯とは? わかりやすく解説

編制経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 07:33 UTC 版)

第五艦隊 (日本海軍)」の記事における「編制経緯」の解説

1938年昭和13年6月頃、「昭和十三年度帝国海軍作戦計画」の計画立案にあたり軍令部事務当局日本陸軍折衝おこない従来の対一国作戦主義転回し、複数国との同時開戦戦争遂行という作戦方針到った大本営海軍部/軍令部当時軍令部総長伏見宮博恭王次長古賀峯一第一部近藤信竹第一課草鹿龍之介)も同意した支那事変日中戦争)が長期化するなか、昭和天皇同年9月6日昭和十三年度帝国海軍作戦計画裁可した。本計画において、日本海軍日本列島東方海面作戦従事する第五艦隊」を編制することに決したアメリカ海軍アリューシャン群島方面基地建設をすすめ、また同方面での演習をおこなっていることも影響している。対米作戦における第五艦隊作戦要領は、以下のとおり第一段作戦一 本付近特ニ本邦東方海面ニ於ケル敵情偵察ニ任ズルト共ニ 敵ノ機動部隊ニ対シ警戒シ之ヲ捕捉撃滅ス 二 小笠原群島方面防備ニ任ジ 第四艦隊横須賀鎮守府部隊大湊要港部部隊協同シテ 敵ノ東洋ニ至ル交通路ヲ扼止ス 第二段作戦南方諸島以北本邦東方海面ニ在リテ 要地防備敵情偵察触接敵勢減殺ニ任ジ 聯合艦隊主力作戦策応1939年昭和14年4月より、軍令部支那方面艦隊縮小する方向研究すすめた。まず第四艦隊第五艦隊支那方面艦隊からのぞいて独立艦隊とし、適宜訓練従事させる方針であった同年11月15日艦隊再編で、第四艦隊予定どおり独立艦隊となったが(前述)、第五艦隊新編独立見送られた。

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編制経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 14:04 UTC 版)

第十一航空艦隊 (日本海軍)」の記事における「編制経緯」の解説

太平洋戦争前の日本海軍陸上基地航空兵力は、年度戦時編制において各艦隊もしくは鎮守府要港部所属していた。1938年昭和13年9月6日裁可された昭和十三年度帝国海軍作戦計画では、日本列島東方海面担当する第五艦隊新編されると共に、東正面配備される陸上攻撃機飛行艇部隊連合艦隊司令長官が直率することになった。これが基地航空艦隊編成萌芽とされるその後統一指揮訓練整合などの観点から、基地航空部隊をまとめた「艦隊」の必要性説かれるようになり、従来艦隊令が改正されて「航空艦隊編制運びとなった1940年昭和15年11月5日裁可された昭和十六年度帝国海軍作戦計画において、日本海軍母艦航空艦隊第一航空艦隊)と基地航空部隊第十一航空艦隊)を編制することになった1941年昭和16年1月15日連合艦隊付属していた第一連合航空隊(1CSf)、第二連合航空隊(2CSf)、第四連合航空隊(4CSf)がおのおのその数字の上に「二十」が加えられ航空戦隊と改称され、これらを統合して第十一航空艦隊新編された。司令長官片桐英吉中将であった第十一航空艦隊新編により基地航空部隊指揮系統整理され大規模航空作戦実施可能とした。すなわち基地航空部隊戦略的用法に道を開いたのである基地航空部隊統一指揮することにより、その移動力長大攻撃距離を利用し適時所要方面大兵力を集中できるばかりでなく、広正面統制ある飛行哨戒実施できるなどの利点があり、また艦隊の編成により、管理教育訓練補給などの能率航空艦隊独立による基地航空部隊士気高揚効果もあった。

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編制経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:37 UTC 版)

第四艦隊 (日本海軍)」の記事における「編制経緯」の解説

支那事変勃発と共に国際情勢緊迫した支那方面増強企図して、日本海軍臨時部隊だった第四艦隊常設艦隊とする。2代目第四艦隊は、1937年昭和12年10月20日編制された。司令長官豊田副武中将であった2代目第四艦隊上海常駐する第三艦隊司令長官長谷川清中将旗艦出雲」)を支援するために編制され、この第三第四艦隊統率するべく、連合艦隊匹敵する大艦隊として支那方面艦隊略字CSF)が編制された。第三艦隊司令長官支那方面艦隊司令長官兼務した。 第四艦隊旗艦足柄」)は青島駐留する欧米艦艇牽制するとともに黄海東シナ海哨戒監視任務日本陸軍輸送船団護衛担当した11月上旬日本陸軍柳川兵団柳川平助陸軍中将と共に杭州湾上陸作戦実施した続いて北支方面封鎖任務第二艦隊司令長官吉田善吾中将)より引き継いだ1938年昭和13年1月7日無政府状態に陥っていた青島市治安維持目的として、青島占領作戦開始する同作戦は「B作戦」と命名され第四水雷戦隊第四航空戦隊龍驤能登呂衣笠丸、弥生如月)を主戦力とする「B部隊」(指揮官豊田副武第四艦隊司令長官)が編成された。1月8日B部隊出撃し、10日青島占領した。だが遅れて青島市日本陸軍第2軍軍司令官西尾寿造陸軍大将参謀長鈴木率道陸軍少将隷下第五師団司令官板垣征四郎陸軍中将)が到着すると、問題生じた海軍陸軍間では、一時険悪な空気流れたという。同年2月1日支那方面艦隊隷下第五艦隊新編され、B作戦部隊編制解かれ第四艦隊北支部隊となった同月初旬からは芝罘占領のため、豊田長官下令によりC部隊指揮官鋤柄玉造第三潜水戦隊司令官旗艦球磨」)が編成された。芝罘占領周辺匪賊鎮圧おこない2月19日にC部隊の名称は廃止された。3月上旬には威海衛治安維持目的にE部隊編成された。

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