Charlemagneとは? わかりやすく解説

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シャルルマーニュ【Charlemagne】

読み方:しゃるるまーにゅ

カール[一]

「シャルルマーニュ」に似た言葉

カール大帝

(Charlemagne から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 08:34 UTC 版)

カール大帝: Karl der Große)、またはシャルルマーニュ: Charlemagne)(742年?/747年?/748年? 4月2日 - 814年1月28日[1])はフランク国王(在位:768年 - 814年)。初代神聖ローマ皇帝(在位:800年 - 814年)として、ローマ教皇レオ3世より帝冠を受けた。


注釈

  1. ^ ドイツ語ではカール・デア・グローセ(Karl der Große)、フランス語でシャルルマーニュ(Charlemagne)、英語ではフランス語綴りを英語読みでシャーレメイン、または英訳してチャールズ・ザ・グレート (Charles the Great)、イタリア語ではカルロ・マーニョ (Carlo Magno)スペイン語ではカルロマグノ (Carlomagno)ポルトガル語ではカルロス・マグノ (Carlos Magno)トルコ語ではフランス語綴りを音訳してシャルルマン (Şarlman) という。日本ではドイツ語読みのカール大帝が世界史の教科書などで一般的に使用されているが、フランス語のシャルルマーニュもフランスの古典叙事詩や歴史書などからの翻訳でよく知られている。
  2. ^ ランゴバルドはイタリア語では「ロンバルド」といい、ロンバルディア州、ロンバルディア平原の語源となった。
  3. ^ ローランはカールの甥で最も危険な後衛部隊をひきいていたが、味方の裏切りにあいイスラム軍に包囲されてしまう。孤立無援のローランは助けを求めず、カールより賜った剣デュランダルで最後のひとりになっても戦った。このなかでカールは200歳を越す老騎士として登場する。
  4. ^ ヴェンド人のポラーブ族で、カールはヴェンド人全体をヴァンダル人と呼んでいた。
  5. ^ 中国史書に書かれた柔然との同族説もあるが[24]、確証はない。
  6. ^ いずれの宮廷付属庭園でも動物を飼っていた[要出典]
  7. ^ 印象的なこのローマ入城は、あたかもローマ時代の儀礼「皇帝到来」の再現のようであったという[要出典]
  8. ^ 神により加冠されし至尊なるアウグストゥス、偉大にして平和的なる、ローマ帝国を統治するインペラートル;serenissimus Augustus a Deo coronatus, magnus pacificus Imperator Romanorum gubernans Imperium
  9. ^ 強い政治力や軍事力をもたなかった当時のローマ教皇は、カールをローマ皇帝とすることで、はじめて東ローマ皇帝や、その支配下にあるコンスタンティノープル教会に対抗することが可能になったのである。ただし、半面、カールが整備された道路、統一された官僚群、常備された軍隊を欠いた状態で、広大な領土の統治するため、ローマ皇帝の権威とカトリックの教会組織を必要としていたことも事実である[要出典]
  10. ^ 古代ローマ皇帝の理念は「キリスト教皇帝」に変質していたので、敬虔なローマ・カトリック教徒の最高の王者であれば、ゲルマン人であっても、カールが皇帝になることは差し支えなかったことをあらわしている[要出典]
  11. ^ 古代の東西ローマ分割時代は、東西の皇帝は即位時に互いの帝位を承認し合っていた。また、ローマ教皇が皇帝を任命するという慣習はそれまでには全くなかった。
  12. ^ 東ローマ帝国との関係が悪化した時、カールはハールーン・アッ=ラシード(アッバース朝全盛期のカリフ)とも提携して対抗しようとしている。なお、「シャルルマーニュの護符」はハールーン・アッ=ラシードより贈られたものといわれる[要出典]

出典

  1. ^ Costanza Beltrami Charlemagne Crowned Imperator Romanorum by Pope Leo III on 25 December 800. Italian Art Society
  2. ^ 佐藤 2013, p. 1.
  3. ^ 山本伸二「カール大帝の列聖(1165年)について」『天理大学学報』第65巻第1号、天理大学学術研究委員会、2013年10月、27-50頁、ISSN 0387-4311NAID 120005858393 
  4. ^ 佐藤 2013, p. 18.
  5. ^ 佐藤 2013, pp. 20–21.
  6. ^ a b 五十嵐 2001, pp. 28–30.
  7. ^ a b 佐藤 2013, p. 20.
  8. ^ a b c 佐藤 2013, p. 21.
  9. ^ 黒田日出男『歴史学事典 12 王と国家』弘文堂、2005年、ISBN 978-4-335-21043-3、p. 149
  10. ^ 松尾秀哉『物語 ベルギーの歴史』中公新書、2014年8月、p. 10
  11. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. I. München/Zürich: Artemis 1980 (ISBN 3-7608-8901-8), Sp. 2038.
  12. ^ Historische Sagen. Herausgegeben und erläutert von Leander Petzoldt. Bd. 1. : Fahrten, Abenteuer und merkwürdige Begebenheiten. München: Beck 1976 (ISBN 3-406-00723-6), 129. Berta, die Mutter des Karls des Großen (S. 127-129). なお、この伝説には、「ベルタは刺繡に優れている」、あるいは、星占いが、「生まれてくる息子はキリスト教界・異教界の王侯に敬われる」と予言する、など神話・伝説・民話でおなじみの他のモチーフも含まれている。
  13. ^ 佐藤 2013, p. 16.
  14. ^ 佐藤 2013, p. 22.
  15. ^ カール大帝によるランゴバルド征服をめぐる伝説に次のようなものがある。(1)吟遊詩人がカールの軍勢に、敵の攻撃にあわずにイタリアへ潜入できる道を案内した。彼が報酬として得た土地は、山に登りそこで吹いた角笛の音が届いた範囲であったと。Brüder Grimm: Deutsche Sagen. Bd. 2. Herausgegeben von Hans-Jörg Uther. München: Diederichs 1993 (ISBN 3-424-01177-0), Nr. 446. ≫Der lombardische Spielmann ≪ (S. 395).(2)近づく敵の様子を見るために高い塔に立ったランゴバルド王が目にしたのは、カールとその強力な軍勢が鉄の甲冑で武装し鉄の槍と剣を携えていた様だったと。Brüder Grimm: Deutsche Sagen. Bd. 2. Herausgegeben von Hans-Jörg Uther. München: Diederichs 1993 (ISBN 3-424-01177-0), Nr. 447. ≫Der eiserne Karl≪ (S. 395-396).(3)ランゴバルド王デシデリウスの娘は、カールの妃にしてくれるならという条件で父の眼を盗んで城門を開け、パヴィーアを占領させたと。Brüder Grimm: Deutsche Sagen. Bd. 2. Herausgegeben von Hans-Jörg Uther. München: Diederichs 1993 (ISBN 3-424-01177-0), Nr. 448. ≫Karl belagerte Pavia≪ (S. 396-397).
  16. ^ a b 佐藤 2013, p. 26.
  17. ^ 佐藤 2013, pp. 39–42.
  18. ^ 五十嵐 2001, p. 74.
  19. ^ a b 五十嵐 2001, p. 76.
  20. ^ 佐藤 2013, p. 32.
  21. ^ a b 佐藤 2004, p. 203.
  22. ^ 阿部 2016, p. 46.
  23. ^ 佐藤 2013, p. 35.
  24. ^ 内田吟風 『北アジア史研究 鮮卑柔然突厥篇』 同朋舎出版、1975年、pp. 397-421
  25. ^ 佐藤彰一『中世世界とは何か ヨーロッパの中世1』岩波書店、2008年11月、pp. 157-158
  26. ^ 佐藤 2013, p. 51.
  27. ^ 佐藤 2013, pp. 53–55.
  28. ^ ハンス・K・シュルツェ『西欧中世史事典―国制と社会組織―』(千葉徳夫 他訳)MINERVA西洋史ライブラリー (22)、ミネルヴァ書房、1997年、ISBN 4-623-02779-1、pp. 106-107。
  29. ^ 加藤雅彦 『ライン河 ヨーロッパ史の動脈』 岩波新書、1999年、p. 12
  30. ^ モーリス・ブロール著、西村六郎訳 『オランダ史』 白水社、1994年3月30日第1刷、p. 11
  31. ^ 佐藤弘幸 『図説 オランダの歴史』 河出書房新社、2012年、p. 20
  32. ^ 小学館編 『地球紀行 世界遺産の旅』 小学館<GREEN Mook>、1999年10月、ISBN 4-09-102051-8、p. 91
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  34. ^ L.D.レイノルズ N.G.ウィルスン 著、西村賀子 吉武純夫 訳『古典の継承者たち-ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史-』国文社、1996年3月(ISBN 4-7720-0419-X)、p. 143
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  49. ^ Erhard Gorys : Lexikon der Heiligen. München: Deutscher Taschenbuch Verlag, 6. Aufl. 2005 (ISBN 3-423-34149-1), S. 184. – Hiltgart L. Keller: Reclams Lexikon der Heiligen und der biblischen Gestalten. Stuttgart: Reclam 1968, S. 307.
  50. ^ Erhard Gorys : Lexikon der Heiligen. München: Deutscher Taschenbuch Verlag, 6. Aufl. 2005 (ISBN 3-423-34149-1), S. 184. - 「カールのシュライン」そのものについては、 Florens Deuchler : Gotik.(Belser Stilgeschichte 7) Stuttgart: Chr.Belser 1970, Abb.66(S. 61) und S. 56.
  51. ^ 佐藤 2013, p. 44.
  52. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 978-3850889056), Sp. 961-962 (Beitrag von D. Schaller).
  53. ^ ドミニック・ブーテ/アルマン・ストリューベル『中世フランス文学入門』(神沢栄三訳)(文庫クセジュ 657)白水社 1983年、26-27頁。
  54. ^ Das Rolandslied des Pfaffen Konrad. Herausgegeben, übersetzt und mit einem Nachwort von Dieter Kartschoke. Fischer Bücherei 1970, S. 6-7.
  55. ^ ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「ヴィレハルム」(伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎訳)第4巻〔名古屋大学教養部 紀要C(外国語・外国文学) 19輯 1975、75頁〕
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  57. ^ 尚樹 啓太郎 『ビザンツ帝国史』 東海大学出版社、1999年
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  60. ^ ドイツ史 1, p. 74.
  61. ^ 佐々木克巳 「地中海商業史とフランク政治史:ピレンヌ・テーゼについての覚書」 一橋論叢74(2), 1975年
  62. ^ エインハルドゥス 1988, pp. 29–31 - フィリップ・ヴァルテールは『英雄の神話的諸相――ユーラシア神話試論I――』[Phippe Walter, Aspects mythiques du héros . Essais de mythologie eurasiatique I](渡邉浩司・渡邉裕美子訳)中央大学出版部 2019 (ISBN 978-4-8057-5181-7)、 第1章「自然の掟に反した英雄の懐胎」(7-24頁)において、カールが妹との近親相姦によってローランを儲けたとする噂について、(1)「史実に基づく民族学的な解釈」と(2)「イデオロギーに基づく政治的な解釈」を簡潔に示した後で、東西の神話・伝説に通暁した著者ならではの(3)「神話学的な解釈」を詳細に展開している。
  63. ^ Elisabeth Schraut/Claudia Opitz: Katalog zur Ausstellung „Frauen und Kunst im Mitelalter“. Braunschweig: Hinz & Kunst 1983 ISBN 3-922618-04-9 , S. 28.
  64. ^ グリム兄弟『ドイツ伝説集』448番「カールのパヴィーア攻囲」に紹介されている伝説によれば、Desideriusが息子・娘とともにパヴィーアに逃れ、カールに攻囲されていた。王女は敵のカールに、自分を妃にしてくれるならパヴィーアと父の財宝を譲り渡す、と矢文を放つ。応諾の返事をもらった彼女は町の鍵を盗み出すと今夜町に攻め寄すように、とカールに伝える。兵が門の中に入ると彼女は喜んで出迎えるが、混乱のさなかに馬にひき殺されてしまう。カールはこうしてランゴバルド王の城パヴィーアを獲得した、という。Brüder Grimm: Deutsche Sagen. Bd. 2. Herausgegeben von Hans-Jörg Uther. München: Diederichs 1993 (ISBN 3-424-01177-0), Nr. 448. ≫Karl belagerte Pavia≪(S. 396-397).
  65. ^ グリム兄弟『ドイツ伝説集』442番「ヒルデガルト」に紹介されている伝説によれば、夫のカールが外征中に彼女は夫の異母(異父)兄弟Talandから言い寄られる。彼女はその誘いを拒否する。しかし、遠征から帰還したカールにTalandは嘘をつく。カールはその嘘を信じ、召使いにヒルデガルトの処刑を命じる。彼女は一旦逃れたものの、発見されて、国外追放を言い渡される。その後彼女はローマに赴き、修得していた医術のおかげで有名になる。一方Talandは盲目になりハンセン病にもなっていた。彼はヒルデガルトのところに行き、病気を治してもらう。これにおどろいたカールは女医のところに行き、真相を知る。カールはヒルデガルトを改めて妃として迎えた、という。Brüder Grimm: Deutsche Sagen. Bd. 2. Herausgegeben von Hans-Jörg Uther. München: Diederichs 1993 (ISBN 3-424-01177-0), Nr. 442. ≫Hildegard≪(S. 390-391).
  66. ^ a b 五十嵐 2001, p. 135.
  67. ^ 五十嵐 2001, p. 90.


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