ポメラニア戦線~最後の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/19 09:02 UTC 版)
「レオン・ジリス」の記事における「ポメラニア戦線~最後の戦い」の解説
1945年3月6日、シュテッティン東部のシュタルガルトがソビエト赤軍の手に落ちた時、近郊のリュボフ(Lübow)にいた「ヴァロニェン」師団第69SS擲弾兵連隊第II大隊(レオン・ラカイSS大尉)はソビエト赤軍の奇襲を受けて壊滅した。しかし、第II大隊とともにいたジリス率いるグループおよび対戦車猟兵大隊第2中隊長アンリ・ティッセンSS中尉(SS-Ostuf.Henri Thyssen)率いるグループだけは辛くも壊滅を免れた。 1945年3月12日、「ヴァロニェン」師団の中でこれ以上先の見えない絶望的な戦闘の継続を望まない生存者を解放する決定がなされ、彼らは戦線の後方へ退いた。その一方で、戦闘継続を希望した者たちは第69SS擲弾兵連隊第I大隊長アンリ・デリクスSS大尉(SS-Hstuf. Henri Derriks)を指揮官に据えた1個戦闘団「デリクス」(Kampfgruppe Derriks)を編成し、シュテッティン・アルトダム橋頭堡(Altdamm)へと向かった。騎士鉄十字章受章者ジリスSS中尉もそのうちの一人であり、ジリスは「デリクス」戦闘団第3中隊の指揮を執り、3月16日から19日にかけて繰り広げられたアルトダム橋頭堡防衛戦に参加した。 それから約1ヶ月後の1945年4月20日、シュテッティン南方・オーデル川西岸の小さな町シラースドルフ(Schillersdorf)への反撃作戦において、第69SS擲弾兵連隊第3中隊長ジリスSS中尉は進撃するソビエト赤軍を巧みに待ち伏せし、同連隊の第1・第2中隊がシラースドルフへ到達できるようにする役目を務めた。 1945年5月3日、ジリスは「ヴァロニェン」師団の生存者約400名とともにシュヴェリーンでアメリカ軍へ投降した。
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