戦闘の継続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)
「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「戦闘の継続」の解説
3月22日、MNLAはガオに撤退し放棄されたアネフィフ(fr:Anéfif)のマリ軍宿営地を奪取する。3月25日、RFIによるとマリク・アグ・アチェリフ大佐(Malick Ag Acherif)とその部下30人はマリ軍を捨ててMNLAに合流した。民兵組織ガンダ・イソ(en:Ganda Iso)のソンガイ・グループに支援された軍の車列がアンソンゴとメナカ間でMNLAの襲撃を受ける。3月26日、MNLAはキダルの町を包囲し、アンサール・アッ=ディーンも待機する。3月29日、アンサール・アッ=ディーンに支援されたMNLAは協同でキダルを攻撃する。北からはトゥアレグ独立派が、南からはイスラム過激派が攻撃する。翌3月30日、MNLAとアンサール・アッ=ディーンはキダルの町と市外縁にある軍衛戍地を占領する。マリ軍は350km南のガオに撤退する。3月31日、西アフリカ諸国経済共同体議長であるコートジボワール大統領アラサン・ワタラは「西アフリカ経済共同体が有する即応部隊を投入する必要がある」として、これに2,000人規模の部隊が見積もられ「マリの全領土保全」を望み「戦争を回避」するべきと述べる。3月31日時点、MNLAはガオとニジェール国境に近い町アンソンゴ(fr:Ansongo)を占領する。 4月1日、暫定軍事政権は戦闘を終結させるためガオを「解放」すべく軍に命じた。反政府勢力はトンブクトゥに突入する。当時、MNLAとアンサール・アッ=ディーンおよびAQIMは北部マリの全地域を統制下に置く。4月4日、MNLAは一方的に4月5日深夜の時点を持って軍事作戦の終了すると発表する(世界時)。 2012年4月6日、同団体のウェブサイト上にてMNLAは「最終的に、本日からアザワドは独立国家」と宣言する。
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