トゥアレグ独立派とイスラム原理主義派の抗争とは? わかりやすく解説

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トゥアレグ独立派とイスラム原理主義派の抗争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)

マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「トゥアレグ独立派とイスラム原理主義派の抗争」の解説

6月6日夜から7日未明にかけて、アンサール・アッ=ディーンMNLA間で初めての衝突が起こる。場所はキダルから数キロメートル地点で、小銃の他に戦闘用車両2台が破壊され少なくとも重傷3人を出す。6月13日トンブクトゥ支配権をめぐりアンサール・アッ=ディーンMNLA間で喧嘩がおき、これが銃撃戦発展し少なくとも2人死亡し複数負傷者出ている。 6月25日地元ガオ出身教師イドリッサ・ウマル(Idrissa Oumarou)は現地人気があるが、彼が町郊外にある自宅帰ったとき正体不明オートバイから銃撃される6月26日ガオにて主にフラニ族ソンガイ族構成される数百人は町を占領する武装勢力に対して抗議するためデモ起こす。イドリッサ・ウマルの葬儀後に暴徒化騒動結果頭部銃弾を受け重傷負った2人含んで二十数名負傷するMNLAデモ参加者により攻撃発端の元であると非難されるが、それを否定するトゥアレグ独立派MUJAOのせいであって自分達に責任はないと主張するなど、責任の所在不明確なままであったこのようにガオ市内では2012年3月武装勢力占領以来MNLAMUJAOの関係は極度緊張状態置かれ町の統制抑圧のため市内不穏な空気包まれることになる。 6月27日朝、ガオ市内初めて両勢力同士による激し戦闘起きる。これによりMUJAO中核とする急進的イスラム原理主義集団アザワド暫定知事執務するMNLA本部包囲するその後襲われトゥアレグ独立派は町から逃れるMNLAはこの戦いでガオ喪失したことを認めるも、戦闘の継続決定する一方、この戦闘暫定評価で最も重いからは、少なくとも死亡20人以上、数十人が捕虜となる。さらに負傷したMNLA事務局長ビラル・アグ・アチェリフは治療のためブルキナファソワガドゥグー移送され部下一人ブーナ・アグ・タイーブ大佐(Bouna Ag Tahib)は死亡した発表文によると、6月27日夜、MNLA国際社会支援受付責任者ママドゥ・ジェリ・マイガ(Mahamadou Djeri Maïga)が主張するところによれば、AQIMMUJAO戦闘員らと交戦中であり、AQIM指導者モフタール・ベルモフタール戦争のために武器組織化をすすめ全攻撃指揮している。ガオ市内MUJAO支配下置かれMNLA排除される。町は6月27日夜に平静に戻る。マリ暫定政府はこの事態にあって依然として無力存在のままであった6月29日MNLAモフタール・ベルモフタール死亡発表するが、AQIM2012年7月7日彼の署名がされた声明死亡説否定される7月上旬数日前国際連合教育科学文化機関ユネスコ)の危機状態にある世界遺産リスト分類されトンブクトゥにある霊廟7つアンサール・アッ=ディーンによって破壊される2012年8月MUJAO北部マリにある民間ラジオ局対し世俗音楽西洋的音楽)の放送禁止宣言する8月下旬イスラム武装勢力南進ドゥエンツァfr:Douentza)を奪取する2012年11月16日MNLA戦闘再開しメナカ拠点MUJAO占拠するアンソンゴ対し攻撃に出る。MNLA戦闘員はタガランガボット(Tagarangabotte)で待ち伏せ攻撃行い初めての勝利を得るも、MUJAOモフタール・ベルモフタール率い増援部隊を得る。MNLA次第地歩失い11月19日メナカ占領される。この結果数十から数百人の死者出たとみられる

※この「トゥアレグ独立派とイスラム原理主義派の抗争」の解説は、「マリ北部紛争 (2012年)」の解説の一部です。
「トゥアレグ独立派とイスラム原理主義派の抗争」を含む「マリ北部紛争 (2012年)」の記事については、「マリ北部紛争 (2012年)」の概要を参照ください。

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