町の統制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 01:48 UTC 版)
享保以前の町奉行所の職制がまだ整っていない時期には、奉行所には民政に関する職掌は存在せず、町触を通じて統制を行う程度で、具体的な業務に関しては町年寄が町奉行の意を受けて担当していた。 元禄のころには問屋仲間の結成が行われるようになり、それらの組合結成事務は町年寄の仕事であった。享保8年(1723年)4月には、質屋や古着屋など紛失物の調査に関係する商売人に対し、組合帳面を3冊作成させ、2冊は印鑑を押さず南北町奉行所に提出し、残る1冊は印形を押して町年寄に提出せよと命じている。これらの組合帳簿の保管も町年寄の業務であった。また、組合への新規加入、相続・改名・株の譲渡などは、必ず届け出ることが義務づけられた。 他にも、安永2年(1773年)9月の薪炭仲買組合の定めでは、株仲間への加入・株の譲渡・休業など、組合運営に関わる事柄は全て樽屋に届け出ることが義務づけられている。そして18世紀初頭には、当時1800挺もあったと言われる町駕籠を600挺に制限し、焼印を押させて樽屋に管理するように命じた。 こうした町の商人や職人の統制に関わる多様な業務は全て町年寄の職務となっていた。 また、江戸の南北町奉行所は2つに分かれていても扱う業務は同じだったが、書物・酒・廻船・材木問屋は北町奉行所、呉服・木綿・薬種問屋に関することは南町奉行所で扱うというように窓口は分かれていた。そして前者の掛は樽屋が、後者は奈良屋が掛として業務を扱うというように、その役割を分担した。
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