奈良屋とは? わかりやすく解説

奈良屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/19 15:21 UTC 版)

明治期の奈良屋(玉村康三郎撮影)。右手に見えるのが1877年(明治20年)築の西洋館。
William Webb Wheeler, A glimpse of the isles of the Pacific (1907) 所収の奈良屋。

奈良屋(ならや)は、神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下温泉にあった旅館である。1700年代創業とされる老舗で、明治期には富士屋ホテルとともに外国人にも知られた箱根を代表する旅館の一つであった。2001年5月20日日曜日)に廃業した。

歴史

江戸時代前期、徳川綱吉のころ(将軍在職:1680年 - 1709年)の創業と伝えられるが[1]、史料上確認できる初見は安永7年(1778年)刊行の『関東所々温泉案内并道程』であり、宮ノ下温泉にある8軒の湯宿のひとつとして「奈らや兵治」の名で掲載されている[2]。江戸時代後期には湯治に効のある名湯「三日月湯」(有馬温泉にあった同名の温泉にあやかったもの)として喧伝された[2]。大名やその家族が湯治のため滞在する「大名湯宿」であり、寛政6年(1794年)から幕末まで28点に及ぶ大名家族の「御入湯控帳」が残る[2][3]。また、文化2年(1805年)に湯本温泉場で旅人の「一夜湯治」が公認されると[4]、大名行列もしばしば箱根七湯で「一夜湯治」を楽しんだが、奈良屋は本陣としての機能を果たした[2][3]

1863年(明治6年)8月5日より明治天皇皇后が暑中休暇のため奈良屋に24日間止宿した[2][1]。しかし1864年(明治7年)に奈良屋は火災で焼失[2]。2階建ての本館を新築したが、1873年(明治16年)12月12日の宮ノ下の大火で再度焼失の憂き目にあった[2][5]。翌1874年(明治17年)には純和風の本館を建築[5]。1877年(明治20年)、木造3階建ての洋式ホテルを新築し、「奈良屋ホテル」と呼ばれた[2]。この間、1868年(明治11年)に富士屋ホテルが開業しており、外国人観光客の宿泊をめぐり奈良屋と富士屋の間には熾烈な競争が展開された[2][5][6][注釈 1]。1883年(明治26年)に富士屋と奈良屋は協定を結び、奈良屋は日本人専門旅館、富士屋は外国人専門ホテルとしてすみ分けることになった[2][6][5][7]。この協定は1923年(大正元年)まで有効であった[5][7]

明治期には勝海舟木戸孝允副島種臣らが好んで滞在し[1]大隈重信は西洋館を定宿としたという[1][5]。なお、1864年(明治7年)には宮之下郵便局が奈良屋内に設置された[8]

1923年(大正12年)の関東大震災では、宮ノ下で大きな被害が出[9]、奈良屋でも西洋館が倒壊した[2][5][10]

第二次世界大戦後には、この旅館で佐々木惣一近衛文麿らによって日本国憲法草案の1つが考案された[11]。また、岸信介がしばしば静養した[2][11]

1999年には本館や別館群が登録有形文化財となる[12][13]。2000年に大女将の安藤兼子が死去[12]。業績は伸びていたが、相続税等の問題が生じたために[14]、2001年5月20日、廃業[14]。土地はリゾートトラストに売却されることとなったが、建物や庭園は撤去されることになった[14][15]。奈良屋の歴史や閉館までの日々を追ったドキュメンタリー『三百年目の女将の涙 〜箱根奈良屋の灯が消える〜』がBS-i(現在のBS-TBS)で制作された[14]。跡地にはリゾートホテル「エクシブ箱根離宮」が立つ。

文化財・遺構

文化財

かつては8件の登録有形文化財があった。いずれも2000年(平成12年)2月15日付で登録されたが、以下7件は2002年(平成14年)7月17日付で解体撤去により登録抹消[13]

  • 奈良屋旅館本館
  • 奈良屋旅館三号別館
  • 奈良屋旅館五・六号別館
  • 奈良屋旅館七号別館
  • 奈良屋旅館八号別館
  • 奈良屋旅館住宅(旧九号別館)
  • 奈良屋旅館十号別館

下記1件の登録が継続している。

  • 奈良屋旅館一・二号別館
    1918年築。2019年現在の所有者は鈴廣[16][17]

遺産・遺構

旅館廃業時、宮ノ下駅前にあった奈良屋所有の土地・建物(もとは従業員寮)や温泉の源泉は手放さずに安藤家に残った[15]。安藤兼子の孫がこの建物を改築し、2007年に足湯付きカフェ「NARAYA CAFE」を開業している[15]

別館の門の一つは、現代美術作家杉本博司が製作した複合文化施設「小田原文化財団江之浦測候所」(小田原市江之浦)に「旧奈良屋門」として移築されている[11]

脚注

注釈

  1. ^ 横浜外国人居留地の発展に伴い、箱根への外国人湯治客も増加していた。箱根を訪れた外国人は主に奈良屋・富士屋、および芦之湯の松坂屋などに滞在した[6]

出典

  1. ^ a b c d 【宮之下奈良屋】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 岩崎宗純 (2001年8月10日). “惜別 歴史の宿 箱根宮ノ下「奈良屋」旅館”. 『有隣』第405号. 有隣堂. 2019年11月13日閲覧。
  3. ^ a b 【大名湯治】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  4. ^ 【一夜湯治】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 【洋風建築の旅館】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  6. ^ a b c 【外国人湯治客】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  7. ^ a b 富士屋ホテルの歴史を知る”. 富士屋ホテル. 2019年11月14日閲覧。
  8. ^ 【全国に先がけた特設電話】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  9. ^ 【大地震の発生】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  10. ^ 【箱根山における災害の状況】”. 箱ペディア. 箱根温泉旅館ホテル協同組合. 2019年11月14日閲覧。
  11. ^ a b c “構想から完成まで20年、杉本博司がランドスケープ「江之浦測候所」を公開”. FASHIONSNAP.COM. (2017年10月7日). https://www.fashionsnap.com/article/2017-10-07/enoura-observatory-open/ 2019年12月18日閲覧。 
  12. ^ a b “箱根の「奈良屋」売却/300年の歴史に幕”. 四国新聞. (2001年5月23日). http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20010523000045 2019年11月13日閲覧。 
  13. ^ a b 解体等による登録抹消”. 文化庁. 2019年11月13日閲覧。
  14. ^ a b c d 三百年目の女将の涙~箱根奈良屋の灯が消える~”. BS-TBS. 2019年11月13日閲覧。
  15. ^ a b c 旅館から受け継いだ古民家が生まれ変わった!家業を生かし、仕事を遊ぶオーナーがつくる、アップデートし続けるカフェ”. 第3新創業市. 2019年11月13日閲覧。
  16. ^ 奈良屋旅館一・二号別館”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年11月13日閲覧。
  17. ^ 神奈川県文化財目録 市町村別(令和元年5月1日現在)”. 神奈川県. 2019年11月13日閲覧。

外部リンク


奈良屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 01:48 UTC 版)

町年寄」の記事における「奈良屋」の解説

享保10年1725年8月提出され由緒書によると、三河時代徳川家康仕えていたと記され、また奈良屋の先祖大和国奈良住んでいた大館氏一族で、これが「奈良屋」という屋号の元となった天正10年1582年)に本能寺の変織田信長明智光秀討たれた際、家康伊賀越え逃れようとした時に従った人物の中に奈良屋の先祖である小笠原小太郎がいたという記録残っている。 当主代々市右衛門名乗っていた。7代市右衛門享保の改革問屋仲間結成事務中心になって担当し8代市右衛門猿屋町会所において札差仕法改正業務勤め猿屋町会所勤務中の帯刀許される10代目市右衛門文政4年1821年)に猿屋町会所業務によく勤めたとして白銀10与えられ、同7年1824年)に一代限り帯刀許され天保5年1834年)に苗字許され館と称することになるなど、その活躍がもっとも目立つ人物である。

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