町の設立と初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:55 UTC 版)
「トムズリバー (ニュージャージー州)」の記事における「町の設立と初期」の解説
トムズリバーの初期歴史の多くは相矛盾する話があって曖昧になっている。様々な史料が町名の由来を、イングランド人大尉のウィリアム・トムズ、農夫で渡し船を経営したトマス・ルーカー、トムというインディアンなどを挙げている。1992年、タウンシップの225周年を祝う行事の一部として、トムズリバーのトムはグース・クリーク(現在のトムズ川)の渡し船を運営したトマス・ルーカーであるという伝説に対し公式の認定を行った。19世紀、トムズリバーは造船業、捕鯨業、漁業、鉄工業、製材業の中心になった。町も川も通常は「Tom's River」と綴られていたが、19世紀の半ばから現在の形になってきた。 トムズリバーはシュルーズベリー・タウンシップの南部にあり、1767年に分離する勅許を得て、ドーバー・タウンシップを形成した。アメリカ独立戦争のとき、植民地民兵隊に塩を供給する戦略的に重要な製造所があり、また沖合でイギリス船やロイヤリストの船を略奪する私掠船の基地になった。1782年3月、イギリス軍とロイヤリスト兵の一群が植民地民兵隊を収容していた川沿いの小要塞を攻撃し、ジョシュア・ハディ大尉を捕獲し、後にサンディフックで絞首刑にした。町の塩製造所や家屋の大半も破壊された。この事件はイギリス軍、ロイヤリストと植民地の緊張した関係を大きく悪化させ、当時パリで進行中だった和平交渉を長引かせ、1783年までかかる要因になった。 トムズリバーはアメリカ合衆国国家歴史登録財にも、ニュージャージー州の歴史登録財にも指定されている。
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