町の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 07:51 UTC 版)
江戸時代中期以降も6町は町列の先頭を占め続けた。しかしもはや一つのまとまりとして扱われることはなく、個々の町が個々にその古い由緒を唱えるにとどまった。日市銭徴収は町の間で処理されたので、個々の商人の意識は及ばない。残存した経済特権も、個々の町を基盤にしつつ、商人が個々に加入・構成する仲間組織に与えられるものになった。仙台領のいわゆる六仲間だが、その成立過程は不明な点が多い。 6つの町は、仙台の24の町の中では比較的繁栄していた。中でも大町は別格で、六仲間のうち五つの仲間の特権を集約し、国分町と並ぶかそれを凌いで仙台城下の中心商業地であった。他の5町は、平均より上ではあるものの、その他の町を圧倒するほどではなかった。江戸時代にも商家の浮沈は激しく、御譜代町が古いからといってそこにある店が古いとは一概に言えないものがあったが、古い由緒の店が御譜代町に多い傾向はあった。 町並みの点では、江戸時代初めからの建物は早くに失われた。しばしば大火に見舞われたためである。仙台に限らず、近世初期の東北地方の商家は木造、板壁で、屋根に石を乗せて重しにしたような質素な建物が多かった。瓦葺、白塗り壁は時代に下るにつれて徐々に普及した。
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