康楽館とは? わかりやすく解説

こうらく‐かん〔カウラククワン〕【康楽館】

読み方:こうらくかん

秋田県鹿角郡小坂町にある劇場小坂鉱山厚生施設として、明治43年(1910)開館重要文化財


康楽館

名称: 康楽館
ふりがな こうらくかん
名称(棟):
名称(ふりがな):
番号 2408
種別1: 近代文化施設
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 2002.05.23(平成14.05.23)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 秋田県
都道府県 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山ノ下2
所有者名: 小坂町
指定基準 (三)歴史的価値の高いもの
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 正面28.2m、側面38.2m、一部二階正面入母屋造背面切妻造、妻入、
正面突出寄棟造一階正面中央札売場・一階南側西端座敷北側西端便所付、奈落を含む、銅板
時代区分 明治
年代 明治43(1910)
解説文: 康楽館は,小坂鉱山経営する合名会社藤田組明治43年建設した芝居小屋で,設計小坂鉱山事務所工作営繕掛長山本辰之助とされる
 建物木造一部2階建,切妻造銅板葺(もと杉板葺),妻入である。
 内部は,玄関ホール客席部,舞台楽屋からなり舞台中央には廻り舞台設ける。正面イギリス下見板張外壁装飾的な棟飾と妻飾,破風板縁取る
飾,客席部の洋風格縁天井など,要所洋風意匠見られる
 康楽館は,明治後期から大正初期にかけて全盛期迎えた小坂鉱山鉱山町繁栄物語遺構ひとつとして貴重である。
 近代芝居小屋では,伝統的な形式踏襲しつつ,優れた洋風意匠取り入れた現存最古のものとして歴史的価値が高い。

康楽館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 13:37 UTC 版)

康楽館
情報
用途 芝居小屋
設計者 山本辰之助
建築主 藤田組
事業主体 小坂町[1]
管理運営 小坂まちづくり株式会社
指定管理者
構造形式 木造[2]
建築面積 767.93 m² [2]
延床面積 1,097 m² [2]
階数 2階建(一部地下1階)[2]
着工 1909年
竣工 1910年8月13日
開館開所 1910年8月16日
所在地 017-0202
秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下2
座標 北緯40度19分35.6秒 東経140度44分42.6秒 / 北緯40.326556度 東経140.745167度 / 40.326556; 140.745167座標: 北緯40度19分35.6秒 東経140度44分42.6秒 / 北緯40.326556度 東経140.745167度 / 40.326556; 140.745167
文化財 重要文化財
指定・登録等日 2002年5月23日
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康楽館(こうらくかん)は、秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山にある芝居小屋近代和風建築の建物は国の重要文化財

香川県仲多度郡琴平町旧金毘羅大芝居や、兵庫県豊岡市永楽館とともに、現存する建物としては日本有数の歴史を持つ劇場である。

沿革

開館

大正時代頃の康楽館

1910年(明治43年)8月16日、小坂鉱山の福利厚生施設として康楽館が開館し、東京歌舞伎の尾上松鶴一座によるこけら落とし公演が行われた[3]。建坪は340坪であり、定員は800人だった[3]。開館当初から廻り舞台を有していたが、東北地方では唯一の廻り舞台だった[3]

全従業員の家族が歌舞伎を鑑賞できる家族慰問会の日が定められていた[3]太平洋戦争中には家族慰問会が中止され、戦後には復活したものの、1957年(昭和32年)をもって中止された[3]

興業の休止

建物の老朽化やテレビの普及によって、1970年(昭和45年)6月には一般興行が休止された[3]。1973年(昭和48年)秋には山本辰之助の親族が康楽館を訪れたことで、設計者が山本であることが明らかとなった[3]。1975年(昭和50年)時点では小坂鉱山従業員や小坂町民の各種集会に利用されるのみだった[3]

保存活動と活用

康楽館は解体の危機にも瀕したが、俳優の小沢昭一などが保存運動を行った。1985年(昭和60年)、所有者の同和鉱業が康楽館の建物と土地を小坂町に無償譲渡し、小坂町は建物の修復を開始した[4]。1986年(昭和61年)3月25日に秋田県指定有形文化財に指定されると[2]、同年7月2日に芝居小屋として再開館し、初の常設公演は大江戸つるぎ太鼓だった。1995年(平成7年)には康楽館が面する通りが明治百年通りと名付けられた[4]

1999年(平成11年)には再開館後の入館者数が100万人を突破した[4]。2001年(平成13年)には隣接地に旧小坂鉱山事務所が移築復元され、小坂鉱山病院記念棟と洋風園舎天使館も改修された[4]。2002年(平成14年)5月23日、康楽館の建物と小坂鉱山事務所が国の重要文化財に指定された。2011年(平成23年)には指定管理者制度を導入し、小坂町の直営から第三セクター企業である小坂まちづくり株式会社の管理に移行した。

2022年(令和4年)12月12日、秋田県の「未来に伝えたい秋田のインフラ50選」に選出された[5]

建築

廻り舞台

木造2階建、切妻造妻入。屋根は銅板葺(当初は杉板葺)である。平面規模は正面約28.2メートル、奥行約38.2メートル。小坂鉱山を経営していた合名会社藤田組によって建てられたもので、棟札により明治43年(1910年)の建築であることが判明している。設計者は小坂鉱山工作課長の山本辰之助とされる[6]

下見板張りの白塗り、上げ下げ式窓と鋸歯状の軒飾りが並び洋館風の外観を持つ一方、桟敷花道、切穴など典型的な和風芝居小屋の内装で、和洋折衷の造りが特徴である。滑車やロープを用いる手動の廻り舞台を有している。緞帳西陣織であり、小坂町出身の日本画家である福田豊四郎が描いた。

移築や復元を行わず、現在も利用されている和洋折衷の木造芝居小屋としては日本最古である。[要出典]兵庫県豊岡市の永楽館の竣工は康楽館より9年早い1901年(明治34年)であるが、永楽館は2008年(平成20年)に復元工事が実施された。現存する日本最古の劇場は天保6年(1835年)竣工の旧金毘羅大芝居であるが、1972年(昭和47年)から1976年(昭和51年)にかけて移築した上で復元工事が実施された[7]

施設見学

4月から11月はほぼ毎日、常打芝居の公演が行われている[8]。歌舞伎大芝居などの特別な公演がある日と休館日(年末年始のみ)以外は、常設公演の有無に関わらず施設内を見学でき、特に12月から3月の舞台が空いている場合に限り、手動の廻り舞台を回す体験などができる。

アクセス

脚注

  1. ^ 小坂町康楽館条例
  2. ^ a b c d e 康楽館 小坂まちづくり株式会社
  3. ^ a b c d e f g h 小坂町町史編さん委員会『小坂町史』小坂町、1975年、pp.459-461
  4. ^ a b c d 小坂 国土交通省
  5. ^ 本多恒顕「知恵と工夫『未来に伝えたい』県、インフラ50選を発表 小中学校に冊子配布へ」『秋田魁新報』2022年12月13日、3面。
  6. ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』第一法規出版、465号、2002年6月
  7. ^ こんぴら歌舞伎のあゆみ こんぴら歌舞伎
  8. ^ アカシア香る鉱山が遺した町並み「明治百年通り」 小坂町

参考文献

  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』第一法規出版、465号、2002年6月
  • 『康楽館 公式ガイドブック 創建百周年記念誌』秋田文化出版、2010年
  • 小坂町町史編さん委員会『小坂町史』小坂町、1975年

外部リンク

  • 康楽館 小坂まちづくり株式会社





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