秋田追分の誕生とレコード・デビューとは? わかりやすく解説

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秋田追分の誕生とレコード・デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 09:24 UTC 版)

鳥井森鈴」の記事における「秋田追分の誕生とレコード・デビュー」の解説

このころ鈴は、江差追分ブームの今の時期に“秋田追分”にも磨きかけたい考えそれまで在郷追分江差追分の上品な節回し取り入れ、現在まで歌い継がれているあかぬけした秋田追分完成させた。 1924大正13)年、鈴は五城座で「鈴会」を結成し後進への民謡指導普及あたった。この会の活動その後秋田県各地広がっていった。 1925大正14)年が、27歳鈴にとって大きな転機となる。この年塩山らを中心に大日本民謡研究会秋田支部結成され9月24日秋田劇場民謡大会開催された。鈴は地元飛び入り競演会に加わり太平永井に次ぐ第2位となる。これにより、大日本民謡研究会本部会長後藤桃水鈴の天賦の才認めることになる。同年11月3日には仙台歌舞伎座東北民謡大会出場した。 1926(大正15)年に、「秋田追分」が発売されるこの年3月当時日本民謡協会であった後藤桃水五城目町訪れ鈴にレコード吹き込み勧めた鈴はこれを請け鈴にとって初めてのレコード吹込みとして、日本蓄音機商会(日蓄、のちの日本コロムビア)のレーベルから「秋田追分」を発表した当初は「江差追分」を吹込む予定で、練習していたのだが、桃水のすすめで曲目変更された。さらに2年後1928年別のレコード会社から売り出した秋田追分ヒットし鈴は一躍全国的な人気民謡歌手になった鈴が吹き込んだレコード秋田追分の他に、江差追分酒屋節、秋田おばこ節、秋田秀子節、、秋田おはら節船方節などがある。 昭和に入ると自ら一座組織し千島から名古屋までを巡業した秋田では、手品旭斎天外曽我廼家劇の五郎(一堺漁人の名で自作の「六兵衛物語」を上演)、夏川静江などが来演し、映画上映なども行われた康楽館」で民謡座長大会開催している。 1930年昭和5年)には、伝統芸能の「秋田万歳」をアレンジした漫芸発表し、芸の幅を広げて観衆喜ばせた。 1932(昭和7)年にNHK秋田放送局開設すると、男鹿森八千代仙北民謡名手黒沢三一とともに鈴の歌声ラジオ電波にのり、県内すみずみまで伝わり幅広い人気得た1939昭和14)、戦時色濃くなると、民謡あきらめ馬川村役場勧業係として勤めたが、時折東北北海道工場鉱山慰問した

※この「秋田追分の誕生とレコード・デビュー」の解説は、「鳥井森鈴」の解説の一部です。
「秋田追分の誕生とレコード・デビュー」を含む「鳥井森鈴」の記事については、「鳥井森鈴」の概要を参照ください。

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