民謡歌手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/22 08:26 UTC 版)
第二次世界大戦の終戦時に18歳であった津波は、民謡を志し、1948年に沖縄へ戻った。津波は、故郷の読谷村で理容所を営みながら、知名定繁に師事し、古典音楽や昔歌の発掘に取り組んだ。 やがてラジオやテレビの番組などに出演するようになり、のど自慢荒らしや、登川誠仁、喜納昌永との民謡ショーなどの活動で名を上げた。また、1959年には、石原節子とのデュエット曲「ひじ小節」でレコードデビューした。 その後は、後進の指導にも取り組み、金城実や古謝美佐子、松田永忠、松田弘一らを育て、また、自らの流派として恒弦会を開き、琉球民謡保存会会長なども務めた。なお、松田永忠は恒徳の従弟にあたる。 1999年からは、息子である津波恒英や、嘉手苅林次とともに、「ゴーヤー・トーンズ」としての活動も行った。
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