民警団、逮捕、民兵隊動員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 16:02 UTC 版)
「アルーストック戦争」の記事における「民警団、逮捕、民兵隊動員」の解説
1837年、第二合衆国銀行が閉鎖された後、税金を払っていたメイン州住民は税の払い戻しがあることになった。受領資格のあるものを決定するために特別国勢調査が行われた。ペノブスコット郡国勢調査官グリーリーはアルーストック川上流地域の調査を始めた。指名されたばかりのニューブランズウィック州知事ジョン・ハーベイが率いる地方当局に、メイン州からの役人が開拓者に金を提供しているという報せが入り、ニューブランズウィック州当局はグリーリーを逮捕させフレデリクトンに連行した。ニューブランズウィック州からの文書ではメイン州知事を贈賄で告発し、メイン州がアルーストック川とその支流地域に司法権を行使し続けるならば、民兵隊が行動を起こすと脅した。これに反応したメイン州のロバート・ダンラップ知事は、メイン州が外国軍に侵入されたことを宣言する一般命令を発行した。 メイン州議会に提出された報告書に拠れば、1838年から1839年に掛けての冬に、紛争地域ではアメリカとニューブランズウィック州の木樵達が木を伐っていた。1839年1月24日、メイン州議会は新任知事ジョン・フェアフィールドに、メイン州公有地担当官、ペノブスコット郡保安官および志願民兵による民警団を、ニューブランズウィック州民を追求し逮捕するために派遣することを承認した。民警団は2月8日にバンガーを出発した。この民警団はT 10 R 5地点に到着し、セントクロワ川とアルーストック川の合流点でキャンプを設営し、ニューブランズウィック州の木樵達の道具を没収し、捕獲し逮捕した木樵を裁判に掛けるために後方に送り始めた。ニューブランズウィック州の木樵達集団がこの行動を知って、その斧や馬を取り替えせなかったので、ウッドストックの武器庫に押し入ることで武装し、自分達も民警団を組織して、夜半にメイン州公有地担当官とその助手を捕まえた。メイン州の役人達は鎖を掛けられてウッドストックに移送され、「インタビュー」のために留め置かれた。 ジョン・ハーベイ知事はこれらアメリカ人を「政治犯」と呼び、ワシントンD.C.に手紙を送って、逮捕者の処置を決める前にロンドンからの指示を待たねばならないと伝えた。その中で、ハーベイはアルーストック川がイギリスの司法権下にあることを保証する責任を行使しているのであり、この地域からメイン州の軍隊全てを排除することを要求すると伝えた。ハーベイは続いてT 10 R 5地点のキャンプ地に民兵隊長を派遣し、メイン州民兵隊を去らせるよう命令した。メイン州のラインズ大尉やその他の者は、命令に従っておりその義務を果たすと言ってこれを拒否した。ニューブランズウィック州民兵隊長はメイン側によって拘束された。 2月15日、メイン州議会はアイザック・ホッズドン少将が率いアルーストック川上流にいる民警団の補強に1,000名の志願者を募ることを承認した。ジョン・ハーベイ知事からの追加文書は、イギリス正規軍が西インド諸島から向かっているという報告書と共に、モホーク族がケベック州への支援を申し出、ニューブランズウィック州の軍隊がセントジョン川沿いで結集していることを伝えたので、メイン州民兵隊を一般徴募する2月19日の一般命令第7号発行に繋がった。バンゴーで結集した民兵隊は2月26日までにアルーストック川上流に派遣され、プレスクアイル川沿いにフェアフィールド砦が建設(初期民警団によって捕獲された盗品木材で建設された)され、東国境に軍隊が宿営できるようにされた。
※この「民警団、逮捕、民兵隊動員」の解説は、「アルーストック戦争」の解説の一部です。
「民警団、逮捕、民兵隊動員」を含む「アルーストック戦争」の記事については、「アルーストック戦争」の概要を参照ください。
- 民警団、逮捕、民兵隊動員のページへのリンク