民谷螺鈿の歴史
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民谷螺鈿は、高度経済成長期の1970年代に京都西陣の織元と丹後地方の織手をつなぐ代行店として創業し、メーカーとしても着物の帯づくりを行っていた企業である。螺鈿織りは、創業者が「帯に蝶を織り込む」注文を受け、羽根は織り込めたものの胴体がうまくいかなかったことから、正倉院展の螺鈿細工にヒントを得て、貝殻を帯に織り込むことを考案したとされる。 2005年(平成17年)、地場産業である丹後ちりめんや、今日では希少となった伝統の藤織りとともに、「丹後テキスタイル」としてジャパンブランド育成支援事業に採択された。2006年以降、世界最大の繊維見本市「プルミエール・ビジョン」やパリコレ等に出展している。 創業者の息子で2018年(平成30年)現在、社長を務める民谷共路は、螺鈿織りの技術を応用して、従来は困難とされた和素材等を織り込んだ生地の開発を手掛け、海外市場を中心に評価を高めている。2017年(平成29年)からは、組合や行政が海外で通用する丹後ブランド商品の開発をめざしてパリから招いたデザイナー、マチルダ・ブレジョンの助言を受けつつ、絹織物に皮を織り込む独自技法で、スカーフ等を制作している。
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