トゥィマンの支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 07:09 UTC 版)
「モーリス・ストークス」の記事における「トゥィマンの支援」の解説
華やかなバスケット生活から一転、絶望的な状況に追いやられたストークスに手を差し伸べたのが、少年時代からの友人であるジャック・トゥィマンだった。病室の外で、未だ昏睡から目覚めない息子とこれからの生活を想って涙する母親を見て、トゥイマンはストークスの保護者となることを決意。彼は合法的にストークスの保護者になれるよう、知人の判事に依頼し、それまでのストークスの医療費もトゥィマンが支払った。 トゥイマンがストークスとその家族に援助の手を差し伸べている間に、ようやくストークスが昏睡から目覚めたが、半身不随となっており、その後の検査で外傷後脳症であることが判明した。暫くは言葉を発することもできなかったが、トゥィマンとは瞬きによってコミュニケーションがとれていたという。その後ストークスは通常の生活を取り戻すために、熱心にリハビリに取り組み、周囲も驚くほどの回復を見せるようになった。 一方その後のロイヤルズはストークスに対する仕打ち(飛行機をデトロイトに引き返させなかったことや、契約を解消したこと)に対し不信感を抱き、多くの中心選手がチームを去ってしまい、残ったのはトゥィマンだけとなった。そのトゥィマンはチームのエースとして活躍し、チーム1の年2万ドルのサラリーを得ていたが、それでもストークスの医療費を払うには足りなかったため、トゥィマンは昼夜を問わずに働き続けた。1958年からは寄付金を募るためのチャリティーゲームを1年ごとに開催し、ビル・ラッセルやウィルト・チェンバレン、ジェリー・ウェスト、カリーム・アブドゥル=ジャバー、ジュリアス・アービングなどの大物選手も参加している。"モーリス・ストークス・ゲーム"と銘打たれたこの大会は現在まで続けられており、貧困に苦しむ元NBA選手のためのチャリティーゲームとなっている。黒人のストークスと白人のトゥィマンの関係は、人種の壁を越えた美談としてマスコミによって伝えられ、各地から寄付金が寄せられることもあった。
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