ポメレレンのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:53 UTC 版)
「ポメラニア公の一覧」の記事における「ポメレレンのその後」の解説
1296年–1299年 クヤヴィの一部 1299年–1308年 ポーランド領 1308年–1466年 ドイツ騎士団国領 1454年–1466年 十三年戦争の係争地 1466年–1569年 王領プロイセンの一部、ポーランド王国と同君連合 1569年–1772年 ポーランド・リトアニア共和国領 1772年–1919年 プロイセン王国の行政区西プロイセンの一部、1871年以降はさらにドイツ帝国の一部1772年–1793年 第1次ポーランド分割ではダンツィヒなどいくつかの都市はポーランド領のままだったが、その後の第2次ポーランド分割でプロイセンに編入された 1807年–1814年 フランスの衛星国の自由都市ダンツィヒ。フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴルがダンツィヒ公爵の称号を1808年から1820年まで保持し、その後は西プロイセンに返還 1829年–1878年 プロイセン州 1920年–1939年 ポーランド第二共和国の一部、ただし、ダンツィヒは自由都市ダンツィヒとして国際連盟の保護下 1939年–1945年 ナチス・ドイツのダンツィヒ=西プロイセン帝国大管区 1945年– ポーランド領
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