ポメラニア公国の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 01:19 UTC 版)
「グリムニッツ条約」の記事における「ポメラニア公国の継承」の解説
詳細は「シュテッティン条約 (1630年)」および「シュテッティン条約 (1653年)」を参照 グライフ家最後のポメラニア公ボギスラフ14世(英語版)は三十年戦争中の1637年に死去した。ブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムはグリムニッツ条約の継承条項に基づき継承を請求した。 しかし、ボギスラフ14世は1630年のシュテッティン条約でスウェーデンと同盟を締結しており、条約ではボギスラフ14世の死後にはスウェーデンがポメラニア公国を統治すると定めた。スウェーデンはポメラニアのブランデンブルクへの引き渡しを拒否したが、結局ポメラニアは1648年のヴェストファーレン条約でスウェーデン領ポメラニアとブランデンブルク領ポメラニア(英語版)に分割された。この分割は1653年のシュテッティン条約で発効した。
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