クルディスタンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 地理 > 地図 > 地帯 > クルディスタンの意味・解説 

クルディスタン【Kurdistān】

読み方:くるでぃすたん

トルコ・シリア・イラク・イランの国境にまたがる山岳地帯クルド族居住地


クルディスタン

クルディスタン
Kurdistan
2004年1月現在、クルディスタンという国は存在しない。ここで紹介するコインは、イラク戦争によるサダム・フセイン
政権崩壊を受け、クルド人により鋳造されたものであるコインには黄シカ描かれている。
通貨単位ディナール
Dinar
マップ
10 ディナール (2003)

クルディスタン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 08:27 UTC 版)

CIAの発表したクルド人居住地域の地図

クルディスタンクルド語 كوردستان / Kurdistan)は、中東北部の一地域。トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分にまたがり、ザグロス山脈タウルス山脈の東部延長部分を包含する、伝統的に主としてクルド人が居住する地理的領域のこと[1]チグリスユーフラテス川の中上流域を中心に広がる山岳地帯である。面積は約392,000km2

「クルド人の地/国」を意味する。ペルシア語ではコルデスターンといい、イランには同名の州コルデスターン州が存在する。イラクでは自治区のクルディスタン地域、シリアでは自治区のロジャヴァを構成する。

クルディスタンという名称は、12世紀にセルジューク朝アフマド・サンジャルがエルデランに相当する地域(今日のイランのコルデスタン州とほぼ一致)に設置した州の名前として、初めて使われた[2]

特定のクルド人の都市では、都市集落は先史時代にさかのぼることができる。特に、ピランシャールには約8,000年前の都市集落があり、エルビルには約6,000年前の都市集落がある[3][4]

歴史

古代

カルドゥチ英語版紀元前60年

紀元前3000年頃、シュメール楔形文字粘土板に"Kar-da"ないしは"Qar-da"と呼ばれる土地の名前が現れる。ゴッドフリー・ロールズ・ドライヴァー英語版はこれを「クルド」の最も初期の形であると示唆しており[5]、その説に倣うならば、これが最も早いクルドに関する記録となる[6]

今日、クルディスタンとして知られている地域はペルシア(イラン)とメソポタミアの間、ヴァン湖の南と南東の高山地域のことである。ここは、クセノポンの時代以前よりクルド人が支配しており、カルドゥチ英語版: Carduchi, Cardyene, Cordyene, : Καρδούχοι)の名で知られる国が存在した[7]

古代ローマはその絶頂時に、クルド人が住んでいる広大な地域、特に中東の西と北のクルド人地域を支配した。カルドゥチ英語版のようなクルド人王国は、ローマ帝国の封建州となっていた。紀元前189年から384年、古代カルドゥチは北メソポタミアを支配した。この王国はティグラノセルタ (Tigranocerta) の東に存在した。トルコの南東にある今日のディヤルバクルの東側および南側に相当する。カルドゥチは、紀元前66年ローマ共和国封建州となり、384年までローマと同盟状態にあった。

「クルドの地」の語が初期の記録に現れた一例として、シリア語でのキリスト教の文章がある。この文章は中東での聖アブディショ英語版の様なキリスト教の聖者を記述している。サーサーン朝のマルズバンがアブディショに出身の地を聞いた際に、彼は両親がアッシリアの村ハザ (Hazza) の出身であると答えた。しかし、両親は異教徒によりハザから追い出され、タマノン (Tamanon) に定住した。そこは、アブディショによると「クルドの地」であった。この村は、現在のイラクとトルコの国境の北、現在のアルビールの南西12kmに存在する。同じ文章の他の部分ではハブール川地域が「クルドの地」と記載されている[8]

中世

マフムード・カーシュガリーによる地図(1074年)。アルズ・アッシャーム(シリア)とアルズ・アル=イラーキイン(両イラク:イラーキ・アラブとイラーキ・アジャムすなわちイラン)の間にアルズ・アル=アクラード(クルドの地)がある。

10世紀後半、地域には5つの地方王朝が成立した。北側をシャッダード朝951年 - 1174年アルメニアとアッラーンの一部)と、ラワード朝英語版955年 - 1221年タブリーズマラーゲ付近)に、東側をハサナワイフ朝英語版(959年 - 1015年)とアナーズ朝英語版(990年 - 1116年:ハルワーン、ケルマーンシャー、ハーナキーン)、西側にマルワーン朝英語版(990年 - 1096年:ディヤルバクル)が支配した。

中世のクルディスタンは「イマーラト」すなわちアミール領と呼ばれる半独立、一部独立の国家集合体であった。通常、これらはカリフシャーの間接的な政治的、宗教的影響下にあった。これらのクルディスターンの諸勢力と近隣国との複雑な関係は、1597年シェレフハーン・ベドリースィー英語版 (クルド語: Şerefxan Bedlîsî)による鑑文学「シャラフナーメ英語版」に記載されている[9][10][11]。よく知られているクルド系アミール領は、今日のイラクのババンソラン英語版ベフディナン英語版ゲルミヤン英語版、トルコのバクラン[要出典]ボフタン英語版ベドリース英語版、イランのムクリヤン英語版エルデラン英語版に相当する。

近代

アブデュルハミド二世の時代にアラビア語で印刷されたオスマン帝国の地図にあるクルディスターン地方
クルディスタンの旗。現在はイラク領クルディスタン地域の旗。

16世紀に、クルド人居住区は、長い戦いの後サファヴィー朝オスマン帝国に分割された。クルディスタンに対する最初の重要な分割は1514年チャルディラーンの戦いの後に行われ、1639年ズハーブ条約英語版により公式のものとなった[12]第一次世界大戦前には、ほとんどのクルド人はオスマン帝国内のクルド州に住んでいた。[要出典]オスマン帝国の解体後、連合国は旧オスマン領のこの地域を分割し複数の国を作る合意と計画を行っていた。批准されなかったセーヴル条約に基づいた、アルメニア沿いにあるクルディスタンもその一つであった。しかし、ケマル・アタテュルクによるアナトリア東部の再占領や他の差し迫った問題が、連合国にトルコとの再交渉を認めさせた。結果、ローザンヌ条約により、現在のトルコ共和国の国境の大部分が確定された。これによりクルディスタンの独立の機会は失われた。クルディスタンの他の領域は、両条約において、イギリスフランスによる委任統治領(イラクシリア)の内部に併合された。

第二次世界大戦後をにらんだ1945年サンフランシスコ会議において、クルド人の代表団は、クルド人が主張するクルディスタンの地理的な範囲を示した。この提案では、地域はアダナ近くの地中海の海岸から、ブーシェフル近くのペルシア湾の海岸まで広がっている。これには、ザグロス山脈の南の居住区であるルアも含まれている[13][14]

第一次世界大戦後はサイクス・ピコ協定を基本とした国際協定によりクルディスタンはいくつかの国に分割され、それぞれの国においてクルド人は少数派である[13][15]。クルド人同士は国境を越えた往来がある。それは密貿易[16]や、それぞれの国において自治権拡大や独立を求めての政治活動・軍事行動も含む。トルコは国外に拠点を置くクルド人勢力への越境攻撃も行っている。

1946年1月、イラン西部のクルド人はソビエト連邦の支援を得てマハーバード共和国を樹立したが、同年中に独立を認めないイラン政府の猛攻により瓦解した。これによりイラン国内のクルド人が弾圧されるようになったが、1978年までにイラン革命の機運が高まるとこれに乗じ、イラン・クルディスタン民主党を中心に自治権の獲得を目指した。 しかし革命後のホメイニ政権はイラン・クルディスタン民主党を非合法化して弾圧、イラン・クルディスタン民主党はケルマーンシャー州の都市[17]西アーザルバーイジャーン州のマハーバードを占拠して対抗したが、イラン政府軍と革命防衛隊の猛攻により1979年9月3日までに制圧された[18]

1991年湾岸戦争の終結時、連合国は北イラクに安全地域を創設した。イラク軍が北部の3つの県から撤収した際に、イラクのクルディスタンはイラク内部の自治勢力として浮上し、1992年には地方政府と議会が作られた。

シリア内戦(2011年~)において、クルド人民防衛隊を主体とするシリア民主軍がシリアの一部を支配している。

主要都市

クルド人自治区

主な政党

脚注

  1. ^ "Kurdistan", Encyclopædia Britannica, 2008, Encyclopædia Britannica Online.
  2. ^ Kerim Yıldız, Irak Kürtleri, Belge Yayınları, İstanbul, Haziran 2005, ISBN 975-344-329-3, s. 21-22.
  3. ^ https://newspakistan.tv/8000-years-old-artifacts-unearthed-in-iran/
  4. ^ https://www.nytimes.com/2017/10/10/world/middleeast/iraq-erbil-citadel.html
  5. ^ Ozoglu 2012, p. 23.
  6. ^ Martin J. Dent, Identity Politics: Filling the Gap Between Federalism and Independence page: 99, Published 2004 Ashgate Publishing, Ltd., 232 pages, ISBN 0754637727
  7. ^ http://www.gutenberg.org/files/16167/16167-h/raw7a.htm
  8. ^ J. T. Walker, The Legend of Mar Qardagh: Narrative and Christian Heroism in Late Antique Iraq (368 pages) , University of California Press, ISBN 0520245784, 2006, pp. 26, 52.
  9. ^ http://www.mazdapublishers.com/Sharafnama.htm
  10. ^ For a list of these entities see Kurdistan and its native Provincial subdivisions
  11. ^ 日本語ではシャラフッディーンについて永田雄三羽田正『成熟のイスラーム社会』中央公論社, 1998, pp.329-344.に「二つの大国のはざまで—あるクルド人リーダーの苦悩」としてその生涯が語られている。
  12. ^ C. Dahlman, The Political Geography of Kurdistan, Eurasian Geography and Economics, Vol.43, No.4, pp.271–299, 2002.
  13. ^ a b C. Dahlman, The Political Geography of Kurdistan, Eurasian Geography and Economics, Vol.43, No.4, p. 274.
  14. ^ aka KURDISTAN | MAP OF THE KURDISH REGION
  15. ^ The map presented by the Kurdish League Delegation, March 1945
  16. ^ 【世界発2019】生活支えるクルド人密輸/イラン・イラク国境の山岳地帯朝日新聞』朝刊2019年1月15日(国際面)2019年1月15日閲覧。
  17. ^ クルド族反乱で緊迫 全軍に出動命令 占拠のパペ市『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月19日朝刊 13版 7面
  18. ^ イラン政府軍 ハマバドを制圧 クルド族 徹底抗戦崩さず『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月4日朝刊 13版 7面

参考文献

  • Ozoglu, Hakan (2012), Kurdish Notables and the Ottoman State: Evolving Identities, Competing Loyalties, and Shifting Boundaries, SUNY Press, ISBN 9780791485569 

クルド人#参考文献も参照

関連文献

  • 山口昭彦 編『クルド人を知るための55章』明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2019年。 

関連項目

外部リンク


「クルディスタン」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



クルディスタンと同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クルディスタン」の関連用語

クルディスタンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クルディスタンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
WorldCoin.NetWorldCoin.Net
Copyright 2025, WorldCoin.Net All Rights Reserved
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクルディスタン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS