ケ号作戦
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ケ号作戦(ケごうさくせん)は第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)2月1日から2月7日にかけて行われた、日本軍のガダルカナル島撤退作戦。作戦名の由来は
注釈
- ^ 草鹿任一海軍中将は、南東方面艦隊司令長官と第十一航空艦隊司令長官を兼務。南東方面部隊指揮官として、南東方面艦隊と第八艦隊を隷下に置く。
- ^ 第八艦隊司令長官三川軍一海軍中将は、軍隊区分においては外南洋部隊指揮官で、南東方面部隊の隷下で行動する。
- ^ (1943年1月4日)勅語 「ソロモン」群島竝東部「ニューギニヤ」方面ニ作戦セル陸海軍部隊ハ長期ニ亙リ緊密ナル協同ノ下ニ連続至難ナル作戦ヲ敢行シ有ユル艱苦ヲ克服シ激戦奮闘屡々敵ニ打撃ヲ加ヘ克ク其ノ任ニ膺レリ 朕深ク之ヲ嘉尚ス 惟フニ同方面ノ戦局ハ益々多端ヲ加フ汝等愈々奮励努力陸海協戮ヲ以テ朕カ信倚ニソハムコトヲ期セヨ[17]。
- ^ 『戦史叢書66、大本営陸軍部<6>』による2月15日報告では、海軍兵749名とする[8]。
- ^ 第一次撤収作戦に参加した駆逐艦巻雲。機雷により損傷、自沈処分。
- ^ 第一次撤収作戦で駆逐艦巻波大破。第二次撤収作戦で駆逐艦舞風中破。第三次撤収作戦で駆逐艦磯風中破。
出典
- ^ a b c d e 戦史叢書66 1973, p. 34.
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 30b-37大本營の新作戦に関する命令、指示
- ^ a b 戦史叢書66 1973, p. 41aガ島撤収作戦の見通し
- ^ a b 戦史叢書66 1973, pp. 60-61「ケ」号作戦成功の要因
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 41b航空撃滅戦の成否について
- ^ 聯合艦隊作戦室 1997, pp. 128-130「ケ」号作戦
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 58-59ガ島撤収作戦の実施
- ^ a b c d e f g 戦史叢書66 1973, p. 59.
- ^ 聯合艦隊作戦室 1997, pp. 123-125第三次ソロモン海戦の波紋
- ^ 聯合艦隊作戦室 1997, pp. 126-127難しくなった鼠輸送
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 18-19南東方面
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 25a-26南東方面作戦方針の転換
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 25b.
- ^ a b c 戦史叢書66 1973, p. 26a.
- ^ a b c d e 戦史叢書66 1973, p. 28.
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 40新作戦方針に対する若干の問題点
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 36-37.
- ^ a b 聯合艦隊作戦室 1997, pp. 129-130.
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 26b-29綾部第一部長の第八方面軍との作戦連絡
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 29-30福留海軍第一部長の聯合艦隊との作戦連絡
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 27.
- ^ a b c d 戦史叢書66 1973, p. 41c.
- ^ a b c d e 戦史叢書66 1973, p. 30a.
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 22-37.
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 35.
- ^ 戦史叢書66 1973, p. 31.
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 37-39陸海軍作戦部長の連絡事項の上奏
- ^ a b c d e f g h i j 戦史叢書66 1973, pp. 38-39.
- ^ a b 戦史叢書66 1973, pp. 57-58ソロモン方面航空撃滅戦と海上作戦
- ^ a b c d e 梅本弘 2010, p. 81.
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 561.
- ^ #海軍戦記(3)142頁「イサベル島沖海戰」
- ^ a b 土井全二郎 2009, p. 126.
- ^ 土井全二郎 2009, p. 145.
- ^ #ガタルカナル三巻676-678頁
- ^ #連合艦隊栄光247-248頁
- ^ #雪風手記330頁、#連合艦隊栄光248-249頁
- ^ #ガタルカナル三巻678頁
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 61-62ブナおよびガ島撤収作戦に関する中央部の発表
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 570.
- ^ #海軍戦記(3)143頁「イサベル島沖海戰」
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 49-50東部ニューギニア作戦準備の促進
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 76-85ニューギニア方面の作戦師団
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 247-248八十一号作戦計画とダンピールの悲劇
- ^ 聯合艦隊作戦室 1997, pp. 130-131ニューギニア輸送にも危機
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 42-43ソロモン群島の防衛線
- ^ 戦史叢書66 1973, pp. 74-76ソロモン方面の防衛問題
ケ号作戦
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「白雪 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「ケ号作戦」の解説
1943年(昭和18年)1月17日、白雪は輸送船4隻(大井丸、乾坤丸、旭盛丸、はばな丸)のB船団を護衛してトラック泊地を出発、速力9ノットでショートランド泊地を目指した。航海中の1月20日附で川内、白雪は南東方面部隊に編入される。21日夕刻、ブーゲンビル島ショートランド泊地近海でB-17重爆6機の空襲を受けた乾坤丸が大破炎上し(戦死62、行方不明29)、自沈処理された。白雪は残3隻を護衛して目的地にたどり着いた。ブーゲンビル島への輸送作戦では、参加輸送船11隻(B船団含む)のうち、乾坤丸以下4隻が沈没、A船団掩護のため出撃した秋月型駆逐艦の秋月が大破(第十戦隊司令官木村進少将負傷)という被害を出している。 1月24日、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将は川内、白雪をひきいてラバウルに到着、翌日には第八艦隊司令部・第三水雷戦隊司令部・第十戦隊司令部が合同してガダルカナル島撤退作戦の打ち合わせを行った。26日、三水戦司令官は増援部隊指揮官を引き継ぎ、白雪に乗艦してショートランド泊地へ移動、夕雲型駆逐艦巻波に将旗を掲げた。川内はカビエンに回航され、重巡2隻(鳥海、熊野)と共に待機する。ショートランド泊地では、駆逐艦輸送が失敗した場合の予備手段として大発動艇部隊による撤収作戦の準備が行われた。第16駆逐隊司令荘司喜一郎大佐(司令駆逐艦「時津風」)指揮下の駆逐艦6隻(警戒隊《時津風、白雪、黒潮》、輸送隊《浦風、浜風、江風》)で作戦を実施、アメリカ軍機の空襲を排除して作戦は無事に成功した。 詳細は「ケ号作戦」を参照 2月上旬、白雪はガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加した。第一次撤収作戦は警戒隊(巻波、親潮、舞風、江風、白雪、文月、皐月、長月)と輸送隊(風雲、巻雲、夕雲、秋雲、浦風、磯風、浜風、谷風、時津風、雪風、大潮、荒潮)という区分で、2月1日9時30分にショートランド泊地を出撃、エスペランス岬とカミンボへ向かった。だがアメリカ軍機の空襲で旗艦巻波が航行不能となり、同艦は文月に曳航されて引き返した。三水戦司令官は白雪に移乗して撤収部隊をおいかけ、その間の指揮は第十戦隊司令官がとっている。ガ島では夕雲型駆逐艦巻雲が触雷して航行不能となり、夕雲に処分されている。それ以上の被害はなく、第一次撤収作戦は成功裡に終わった。 第二次撤収作戦は、沈没損傷艦(巻雲、巻波)の代替として駆逐艦2隻(朝雲、五月雨)を編入し、それ以外は第一次撤収作戦と同じ艦で実施することになった。2月4日9時30分にショートランド泊地を出撃するが、往路の空襲で舞風が航行不能となり、長月に曳航されて避退した。さらに白雪は機関故障を起こしたため、増援部隊指揮官は江風に旗艦を変更する。白雪はショートランド泊地に引き返し、江風は第二次撤収部隊をおいかけてガ島へ向かった。駆逐艦3隻(舞風、長月、白雪)の離脱という事態があったものの、第二次撤収作戦も成功裡に終わった。 2月7日の第三次ケ号作戦(第一連隊《白雪、黒潮、朝雲、五月雨、時津風、皐月、文月、大潮、荒潮》、第二連隊《風雲、夕雲、秋雲、長月、谷風、浦風、浜風、磯風》)では、当初第8駆逐隊(大潮、荒潮)は加わっておらず、海軍と日本陸軍の折衝によって参加が決まったという。2月7日9時10分にショートランド泊地を出撃、往路の空襲で磯風が大破した。長月が曳航しようとしたが自力航行可能となったため、長月は撤収部隊に復帰、対潜哨戒任務中の江風がかけつけ磯風を護衛してショートランド泊地へ避退した。白雪指揮下の撤収部隊はガ島に到着、第三次撤収作戦も成功のうちに終わった。
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