矢野大隊とは? わかりやすく解説

矢野大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/29 17:39 UTC 版)

ケ号作戦」の記事における「矢野大隊」の解説

矢野大隊(長:矢野少佐)は、撤収作戦援護の殿(しんがり)を任務として第38師団ラバウル残留各部隊から抽出され臨時編成された。その編成は、歩兵1個中隊、機関銃1個中隊、山砲1個中隊(山砲3門)の兵員750名に有線無線各1個小隊150名がついた。兵員多く年齢30歳前後の未教育補充兵で、生還を期さない決死隊として撤収作戦であることは矢野少佐にも知らされていなかった。 駆逐艦5隻に分乗した矢野大隊は、1月14日エスペランス岬上陸した18日最前線のコカンボナに布陣し22日から陣地転換しながらの遅滞戦闘おこなったアメリカ軍迫撃砲による集中砲撃戦車先頭攻撃したが、矢野大隊は肉攻班が破甲爆雷対戦車攻撃をおこなうなど頑強に抵抗したこの間日本軍第一次撤収2月1日)、第二次撤収2月4日)を実施したアメリカ軍はこれを察知することができなかった。当初、矢野大隊の一部ガダルカナル島残置させられる方針であったが、矢野少佐は(一部を残すくらいなら)大隊一丸玉砕するとの覚悟であったため急遽命令変更され大隊第三次撤収2月7日)で駆逐艦収容された。在島25日間で750名の兵力300名に減っていた。

※この「矢野大隊」の解説は、「ケ号作戦」の解説の一部です。
「矢野大隊」を含む「ケ号作戦」の記事については、「ケ号作戦」の概要を参照ください。


矢野大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

ガダルカナル島撤収作戦」の記事における「矢野大隊」の解説

矢野大隊(長:矢野少佐)は、撤収作戦援護の殿(しんがり)を任務として第38師団ラバウル残留各部隊から抽出され臨時編成された。その編成は、歩兵1個中隊、機関銃1個中隊、山砲1個中隊(山砲3門)の兵員750名に有線無線各1個小隊150名がついた。兵員多く年齢30歳前後の未教育補充兵で、生還を期さない決死隊として撤収作戦であることは矢野少佐にも知らされていなかった。 駆逐艦5隻に分乗した矢野大隊と第八方面軍井本熊男陸軍中佐は、1月14日エスペランス岬上陸した15日井本参謀第十軍司令部立ち寄り勅語撤退命令伝達した16日百武司令官撤退決定した第十軍司令部は、最前線に向かう矢野大隊を見送った18日、矢野大隊は最前線のコカンボナに布陣し22日から陣地転換しながらの遅滞戦闘おこなったアメリカ軍迫撃砲による集中砲撃戦車先頭攻撃したが、矢野大隊は肉攻班が破甲爆雷対戦車攻撃をおこなうなど頑強に抵抗したこの間日本軍揚陸予定地点エスペランス岬とカミンボへ後退していったが、行動不能の者は自決した日本軍第一次撤収2月1日)、第二次撤収2月4日)を実施したアメリカ軍はこれを察知することができなかった。 当初、矢野大隊の一部ガダルカナル島残置させられる方針であったが、矢野少佐は(一部を残すくらいなら)大隊一丸玉砕するとの覚悟であったため急遽命令変更され大隊第三次撤収2月7日)で駆逐艦収容された。在島25日間で750名の兵力300名に減っていた。

※この「矢野大隊」の解説は、「ガダルカナル島撤収作戦」の解説の一部です。
「矢野大隊」を含む「ガダルカナル島撤収作戦」の記事については、「ガダルカナル島撤収作戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「矢野大隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「矢野大隊」の関連用語

矢野大隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



矢野大隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのケ号作戦 (改訂履歴)、ガダルカナル島撤収作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS