まえはた‐ひでこ〔まへはた‐〕【前畑秀子】
前畑秀子
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前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20日 - 1995年〈平成7年〉2月24日)は、日本の水泳選手、日本初のオリンピック女子金メダリスト(1936年 ベルリンオリンピック)。 和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身、結婚後は兵藤 秀子(ひょうどう ひでこ)。橋本市名誉市民[1]。
注釈
- ^ 河西の実況を文章化した複数のメディアには「…あと25。わずかにリード、わずかにリード。前畑がんばれ、がんばれ前畑。ゲネンゲルが出ております。『危ない』、がんばれ、がんばれ、がんばれ、前畑リード…」と記述しているものもある。(NHKアナウンサー史編集委員会編『アナウンサーたちの70年』、東京新聞編『新聞に見る雑学のすすめ』東京書籍 等) しかし、実況録音盤に「危ない」の文言はない。 一方、ベルリン五輪男子200m男子平泳で優勝した葉室鐵夫の実況録音盤では、アナウンサーの山本照が「…170、おーっとジータスがでました、葉室がんばれ…あと20、あ、ジータス出ました、ジータス出ました、日本危ない、日本危ない、日本危ない…」と「危ない」を連呼している。 実際に前畑とゲネンゲルのタイム差は0秒6だったのに対して、葉室とジータスは0秒4とこちらも大接戦だった。 [4]。
- ^ 「8月11日 ベルリン五輪の女子200m平泳ぎで前畑秀子が日本女子初の金メダル。1936年(昭和11年)」[12]
- ^ 現在、日本選手権水泳競技大会の女子200m平泳ぎ優勝者には、1992年バルセロナオリンピック同種目優勝者である岩崎恭子の栄誉を讃える『岩崎恭子杯』が贈られている。
出典
- ^ “名誉市民”. 橋本市. 2022年7月27日閲覧。
- ^ 『私学人 椙山正弌』(椙山女学園『私学人 椙山正弌』刊行会(代表 椙山正弘)編集、昭和50年初版、講談社)
- ^ 『椙山女学園 100年史』(2006年初版)
- ^ ベルリンオリンピック女子二百平水泳決勝実況放送 日本放送協会編「放送」昭和11年9月号、第6巻・第9号
- ^ 【特集】70周年 岐阜市立長森中学校 2019年11月24日閲覧
- ^ 「その時歴史が動いた コミック版 感動スポーツ編」より
- ^ 明日への伝言・昭和のあの日から
- ^ a b 日本水泳連盟.
- ^ 日本水泳連盟 1994, p. 420.
- ^ 日本水泳連盟 1994, p. 449.
- ^ 「官報」第1619号 平成7年4月6日木曜日「叙位」「故 前畑ヒデ子」「特旨を以て位記を追賜せられる(三月二十四日)」「従四位に叙する」
- ^ 『ヨミウリオンライン』読売新聞
- ^ 「日章旗とマラソン」鎌田忠良(講談社)
- ^ “平泳ぎ優勝に「北島杯」制定、「岩崎杯」も 競泳日本選手権”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2016年5月17日) 2019年7月9日閲覧。
- ^ “まえはたがんばれ!”. 戸田恵子オフィシャルブログ Powered by Ameba (2019年9月17日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ 「前畑秀子NHK朝ドラ誘致」について 橋本市役所 2018年12月5日、2019年11月24日閲覧。
- ^ 前畑さんの朝ドラ実現せず 東京五輪前めざした和歌山・橋本市、市長ら報告 産経WEST 2018年12月6日、2019年12月5日閲覧
- ^ “「いだてん」前畑秀子役に上白石萌歌 役作りで7キロ増 3つの起用理由「ただ一人条件クリア」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年4月24日) 2019年4月25日閲覧。
固有名詞の分類
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