松村昶子とは? わかりやすく解説

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松村昶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 15:16 UTC 版)

松村 昶子
国籍 日本
泳法 自由形
生年月日 (1920-07-10) 1920年7月10日
生誕地 日本 山口県吉敷郡大歳村矢原高畑
没年月日 1945年????
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松村 昶子(まつむら しょうこ、1920年(大正9年)7月10日[1] - 1945年(昭和20年)[1][2])は、昭和時代の競泳選手。

経歴

山口県吉敷郡大歳村矢原高畑(現山口市矢原町高畑)の医師松村章の二女として生まれる[2]1927年(昭和2年)大歳小学校に入学し、椹野川の八光面(石津橋の下)で泳ぎを覚えた[2]

山口高等女学校在学中[3][4]、100m自由形で[2]1936年ベルリンオリンピック競泳日本代表に選出されたが、本大会では出場しなかった[5]

脚注

  1. ^ a b Shoko Matsumura”. Olympedia. 2021年3月26日閲覧。
  2. ^ a b c d ふるさとの誇り ~大歳小出身のオリンピック選手 松村昶子さん展示会~”. 大歳小学校. 2021年3月26日閲覧。
  3. ^ 中澤 2010, 42頁.
  4. ^ 束原 2013, 262頁.
  5. ^ 日本代表選手団 記録検索

参考文献




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