松村明仁とは? わかりやすく解説

松村明仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 13:18 UTC 版)

松村 明仁(まつむら あきひと、1941年6月13日 - )は医師医学博士)、労働衛生コンサルタント、元厚生技官満洲国生まれ、山梨県出身。

人物

薬害エイズ事件当時の厚生省生物製剤課長(前任者は、郡司篤晃)。1985年8月、血友病患者ら3人が、危険な非加熱濃縮製剤の市場からの早期回収を製薬会社に指導するよう陳情する為、松村課長を訪れた。これに対し、同氏は、「それは出来ない。非加熱製剤が(HIVに)すべて汚染されているとは限らない。厚生省が指導すれば製薬会社は従わざるを得ず、企業に損害を与えてしまう」と述べたとのことである。また、当時、不凍液入りのワインが市場に出回り大騒ぎとなっており、患者たちが「どうしてワインは回収できて、非加熱製剤はだめなのか」と詰め寄ると、同氏は、「ワインは一般国民が飲むが、凝固因子(血漿製剤のこと)の使用者は限られているから」と答えたという[1]。「薬害エイズ訴訟において加熱製剤認可後も危険な非加熱製剤の回収命令を出さず被害を大きく広げたことにより、特に患者2名の死について業務上過失致死罪に問われ被告人となった[2][3]。ただし、うち1名の1985年5月から6月に投与された部分についてはその当時では結果回避義務は否定され無罪とし、1986年4月に投与された患者1名に対する分について有罪とされた[2][3]

なお、当時の薬務局長だった小林功典や事務次官らは不起訴となっている。

経歴

薬害刑事訴訟

脚注

  1. ^ 櫻井よし子他『薬害エイズ「無罪判決」、どうしてですか?』2001年12月20日、中央公論新社刊
  2. ^ a b c d 薬害エイズ厚生省ルート・松村元課長、二審も有罪」『朝日新聞朝日新聞社、2005年3月25日。オリジナルの2005年3月27日時点におけるアーカイブ。2025年6月18日閲覧。
  3. ^ a b c d 松村被告一部無罪の高裁判決、東京高検が上告断念」『読売新聞読売新聞社、2005年4月8日。オリジナルの2005年4月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月18日閲覧。
  4. ^ 官報平成14年本紙第3324号 12頁
  5. ^ 薬害エイズ事件「厚生省ルート」上告せず 東京高検」『朝日新聞』朝日新聞社、2005年4月8日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ。2025年6月18日閲覧。
  6. ^ 最高裁判例 業務上過失致死被告事件 - 最決平成20年3月3日
  7. ^ 厚生省の松村元課長、上告棄却 有罪確定へ 薬害エイズ」『朝日新聞』朝日新聞社、2008年3月5日。オリジナルの2008年3月8日時点におけるアーカイブ。2025年6月18日閲覧。

関連項目

先代
谷修一
厚生省保健医療局長
1995年 - 1996年
次代
小林秀資




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