ロイヤル・オークとは? わかりやすく解説

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ロイヤル・オーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/07 15:12 UTC 版)

「ロイヤル・オークの息子」ボスコベル館にて撮影(2007年撮影)
枝の多くを失った「ロイヤル・オークの息子」(2011年撮影)。現在は観光客の安全のために木製の柵が拡張されている

ロイヤル・オーク英語: Royal Oak)は、清教徒革命イングランド内戦)中の1651年、当時のイングランドスコットランド皇太子チャールズ(後のイングランド・スコットランド王チャールズ2世)が議会派の軍との戦いに敗れた後、彼らから逃亡する際に隠れたオークイングリッシュオーク)の木に与えられた名前。

1660年王政復古後、この木の逸話は大変有名となり、王権を象徴する獅子と一角獣に支えられたオークの木から王が顔をのぞかせている図柄の陶器などが多く作られた。また、イギリス国内はもとより、アイルランドカナダアメリカ合衆国ニュージーランドなどに「ロイヤル・オーク」という地名が存在する。イギリス海軍には歴代8隻の軍艦に「ロイヤル・オーク」という名前が付けられている。

歴史

1642年に始まったイングランド・スコットランド・アイルランドの清教徒革命は1649年についに国王チャールズ1世の処刑にいたった。この時王子チャールズは亡命してオランダにいたが、革命に反対するスコットランドが彼を王として推戴したのに呼応してスコットランドに上陸し、1651年1月1日に戴冠式を行った(王位についたのはスコットランドのみで、イングランド史上ではいまだチャールズは皇太子)。しかしその後潜入したイングランドでオリバー・クロムウェル率いる議会派軍に手ひどい敗北を喫し(第三次イングランド内戦ウスターの戦い、1651年9月3日)、逃亡を余儀なくされた。

チャールズは王党派の残党と共にシュロップシャーボスコベル館英語版に逃げ込んだ。館の主はカトリックだったため彼らをかくまったが、議会軍の詮議はその館にまで及んだため、チャールズは側近と共に大きなオークの木の枝の中に一晩隠れ、追手をやりすごした。この木が後にロイヤル・オークと言われるものである。

その後フランスに亡命したチャールズは1660年に王政復古を果たすが、その際、自分の逃亡に力を貸した者たちに子々孫々まで与えられる年金を与えたり、王冠とオークの木を組み合わせた紋章の使用を許すなどしてその忠誠に報いたという。また、1679年にはエドモンド・ハレーによって、この木をモチーフにした星座(チャールズのかしのき座)が制定されている。

現在のロイヤル・オーク

ボスコベル館に現在存在する樹齢200~300年のオークの木は当時の「ロイヤル・オーク」ではなく、その子孫と考えられていて「ロイヤルオークの息子(Son of Royal Oak)」と呼ばれている。オリジナルのロイヤル・オークは17世紀から18世紀に旅行者がお土産として枝を切るなどしたため枯れてしまったと言われている。

この「ロイヤル・オークの息子」は2000年の嵐で多くの枝を失い、大きなダメージを受けた。翌2001年になってチャールズ3世(当時皇太子)の手でその横にもう1本のオークの苗が植えられることとなった。それは「ロイヤル・オークの息子」のどんぐりから育ったもので、まさしく「ロイヤル・オークの孫」と言うべきものである。

外部リンク

座標: 北緯52度40分12秒 西経2度14分30.44秒 / 北緯52.67000度 西経2.2417889度 / 52.67000; -2.2417889


ロイヤル・オーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 04:26 UTC 版)

オーデマ・ピゲ」の記事における「ロイヤル・オーク」の解説

代表的なモデルとして、ロイヤル・オークと呼ばれるスポーツウォッチがある。ステンレス製八角形ベゼルケース、裏貫通して固定されネジ底が剥き出しとなっている八本ネジ特徴的である。さらに、文字盤には格子状に溝を刻んでいる。名前は、イギリス清教徒革命戦いにおいて皇太子チャールズ(チャールズ2世)が身を隠し追手かわしたとされる木ロイヤル・オーク、および、この木から名付けられ複数戦艦ロイヤル・オーク(HMS Royal Oak)に由来するとされている。 この時計ジェラルド・ジェンタデザインを手がけ、クォーツショック直後1972年デビューした。ロイヤル・オークのデザインは、たった一日デザインしたと言われている。「鋼へのオマージュ」というキャッチフレーズと共に、『スポーティー・ラグジュアリー』というコンセプト発売された。ステンレス製の「高級時計」は当時例がなく、衝撃的なデザイン、39mmという当時としては大きサイズ(今では「デカ厚」と呼ばれる大型時計広く市民権得ている)とともに受け入れられ大ヒットし、世界中多くファン持っている2005年には自社製のムーヴメントであるCal.3120を搭載したリニューアルモデルが発売された。2012年には、ほぼ1972年オリジナル文字盤再現しつつムーブメント薄型にした復刻モデル発売されているが、他のモデルよりも高額となっている(2012年時点1837500円)。 また派生モデルとしてクロノグラフ機能を持つ「ロイヤルオーク・クロノグラフ」、クロノグラフ機能持ち耐磁防水性能アップさせた「ロイヤルオーク・オフショア」などがある。

※この「ロイヤル・オーク」の解説は、「オーデマ・ピゲ」の解説の一部です。
「ロイヤル・オーク」を含む「オーデマ・ピゲ」の記事については、「オーデマ・ピゲ」の概要を参照ください。

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