主な戦歴・エピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:51 UTC 版)
「ランチア・デルタS4」の記事における「主な戦歴・エピソード」の解説
WRCの1985年の最終戦RACラリーで実戦投入され、ヘンリ・トイヴォネンとマルク・アレンの1-2フィニッシュでデビューウィンを飾る。 1986年は1月の開幕戦ラリー・モンテカルロでトイヴォネンが優勝。第2戦ラリー・スウェーデンではアレンが2位。第3戦ラリー・ポルトガルは観客の死傷事故により、全ワークスドライバーが自主リタイア。第4戦サファリラリーは旧型の037で参戦。 迎えた第5戦ツール・ド・コルスで、トップを快走していたトイヴォネンはSS18でオーバースピードでコースアウトし、崖下に転落。マシンは炎につつまれ、トイヴォネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレスト(英語版)は帰らぬ人となった。重大事故が続発するグループBは危険すぎると判断され、1986年シーズンをもって終了することが決定された。 第8戦ラリー・アルゼンチンでミキ・ビアシオンがWRC初勝利を獲得。第11戦ラリー・サンレモはライバルのプジョー・205T16E2がサイドスカートの規定違反で全車失格し、アレン、ダリオ・チェラート(英語版)(セミワークス)、ビアシオンが1-2-3フィニッシュを達成した。プジョーはこの判定を不服としてFISA(英語版)に控訴する。最終戦オリンパス・ラリー(英語版)でもアレンが優勝し、プジョーのユハ・カンクネンを抑えてドライバーズ&マニュファクチャラーズ両部門の制覇を決めたが、シーズン後にFISAはサンレモでのリザルトを無効と裁定し、選手権ポイントから除外した結果、アレンとランチアの栄光は幻と消えた。 1985年も含め、デルタS4の通算成績は13戦中6勝。ランチアのワークスで参戦したラリーカーでは唯一タイトルの無い車両となる。 WRCのグループB終了後はパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム等にプジョーやアウディ勢と参戦した。
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