ツール・ド・コルス
正式名はRallyde France。フランスでのWRCは、本土ではなく地中海に浮かぶコルシカ島が舞台。路面はターマック。その曲がりくねった道路は直線がほとんどなく、ラリーを通してのアベレージスピードは80km/hをわずかに超える程度で、道路を知り尽くしたフランス勢が強いイベントとして知られる。また、断崖絶壁に沿って走るルートで、へンリ・トイボネン、アッテリオ・べッテガというトップドライバーが死亡事故を起こしている。近年はルートを整理し、危険な区間は除外されたが、ドライバーからの評判は悪い。
ツール・ド・コルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 05:03 UTC 版)
ツール・ド・コルス-ラリー・ド・フランス(Le Tour de Corse-Rallye de France )は1956年からフランスのコルシカ島で開催されているラリー。ラリー・モンテカルロやアクロポリス・ラリーと並ぶクラシックイベントで、数々の逸話が生まれた。
- ^ "IRCツール・ド・コルス、全島を巡るルートに回帰". RALLY PLUS.NET.(2011年4月2日)2013年12月14日閲覧。
- ^ "WRX STI R4のアイグナーがプロダクションカップ優勝". SUBARU MOTOSPORT.(2012年)2013年12月14日閲覧。
- ^ "奴田原文雄の2011年モータースポーツ漫遊記 ツールドコルス編". ADVAN MOTORSPORT.(2011年6月17日)2013年12月6日閲覧。
- ^ RALLY PLUS編集部/ラリープラス [@rallyplus] (2017年4月6日). "【ニャオキのホゲホゲWRC@コルシカ日記】" (ツイート). Twitterより2020年7月26日閲覧。
- ^ "[第2レグ速報]1997世界ラリー選手権(WRC)第6戦ツール・ド・コルス". 三菱自動車.(1997年)2013年12月14日閲覧。
- 1 ツール・ド・コルスとは
- 2 ツール・ド・コルスの概要
- 3 最多優勝回数
ツール・ド・コルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 12:54 UTC 版)
島の一般道を閉鎖して行われるラリーは『ツール・ド・コルス』と呼ばれ、1956年から毎年開催。1973年から行われているWRC(世界ラリー選手権)のラウンドにも組み込まれている。「直線が200mあったらコルスではない」とまで言われる、カーブだらけで荒れた路面のテクニカルなターマック(舗装路)ラリーコースとして数々の名場面を生み出している。 山岳地帯を縫うように走る断崖路で行われるこのイベントでは、ワークスドライバーであってもしばしば大事故を引き起こす。グループB時代の1985年・1986年には、2年連続でランチアのワークスドライバーが死亡。1985年には、ランチア・ラリー037を駆るアッティリオ・ベッテガが立ち木に衝突して死亡。1986年には、ランチア・デルタS4を駆るヘンリ・トイヴォネンがコースオフで崖から転落し、木に衝突した瞬間に起きた発火・爆発で死亡している。これらの事故は、グループBカテゴリ消滅のきっかけとなった。他にも1997年には、この年のワールドチャンピオンである三菱のトミ・マキネンが路上に出てきた牛に衝突し、崖下に転落してリタイアしている。
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