ツール・ド・コルス
正式名はRallyde France。フランスでのWRCは、本土ではなく地中海に浮かぶコルシカ島が舞台。路面はターマック。その曲がりくねった道路は直線がほとんどなく、ラリーを通してのアベレージスピードは80km/hをわずかに超える程度で、道路を知り尽くしたフランス勢が強いイベントとして知られる。また、断崖絶壁に沿って走るルートで、へンリ・トイボネン、アッテリオ・べッテガというトップドライバーが死亡事故を起こしている。近年はルートを整理し、危険な区間は除外されたが、ドライバーからの評判は悪い。
ツール・ド・コルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 05:03 UTC 版)
ツール・ド・コルス-ラリー・ド・フランス(Le Tour de Corse-Rallye de France )は1956年からフランスのコルシカ島で開催されているラリー。ラリー・モンテカルロやアクロポリス・ラリーと並ぶクラシックイベントで、数々の逸話が生まれた。
概要
1973年から世界ラリー選手権 (WRC) の一戦として開催。1996年を除いて、2008年まではWRCカレンダー内での開催としていたが、ローテーション制のため、2009年はシリーズカレンダーから外された。2010年よりフランスにおけるWRC開催地は本土のアルザス地方に変更され、2011年と2012年はインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) 、2013年と2014年はヨーロッパラリー選手権 (ERC) の一戦として開催された。2015年から再びWRCに復活した。
1980年までは秋期に開催され、1981年から1999年までは5月に開催されていたが、2000年以降は9月(2000年、2001年)、3月(2002年)、10月(2003年、2004年、2005年)、4月(2006年)、10月(2007年、2008年)と、年間スケジュールに翻弄された開催時期となっている。
かつては島を1周するラリーだったため「ツール(旅行)」という名が付く。1990年代より島南西部のアジャクシオ周辺にSSを設定してきたが、IRCでは島を縦断するように移動しながら戦うスタイルになった[1][2]。WRC復帰後も3日間のSS数を10本程度に減らし、30-50km級のロングステージを設けている。島東北部のバスティアや中央部のコルテ、南東部のポルト=ヴェッキオといった街も行程の要所となる。
「直線区間が100(200)メートルあったらそれはコルスではない」「1万のコーナーを持つラリー」とまで言われる[3]ほどツイスティーなターマックステージで、山岳地帯の切り立った断崖絶壁を縫うように走る。全体的に道幅が狭く舗装路面は荒れており、標高が高い場所では天候が急変することもしばしば。経験値や正確かつ辛抱強いドライビングが必要とされ、地元のフランス人ドライバーやターマックスペシャリストが強さを発揮してきた。
競技中での事故
1985年にはランチアのアッティリオ・ベッテガ、1986年には同じくランチアのヘンリ・トイヴォネンが競技中に事故死し、グループBのモンスターマシンの廃止につながった。コルテ-タベルナの事故現場の近くには、トイヴォネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレストへ向けた小さな慰霊碑が建てられており、今なお多くのラリー関係者およびラリーファンが訪れている[4]。1997年には三菱のトミ・マキネンがコース上にいた牛に激突し、はずみで谷へ50mほど転落したが無事に生還した[5]。
カーナンバー"4"
ツール・ド・コルスで死亡した1985年のアッティリオ・ベッテガ、1986年のヘンリ・トイヴォネン共、カーナンバーが4であった為、以後カーナンバー4は1995年まで欠番となる。1995年からは、カーナンバーがシーズンを通し固定制になる故の復活だが、1995年にカーナンバー4を付けてコルシカを走ったのはコリン・マクレーである。この時マクレーは生還しているが、2007年にヘリコプターの墜落で非業の死を遂げている。
1973年以降の優勝者
年度 | シリーズ | ドライバー | コ・ドライバー | マシン |
---|---|---|---|---|
1973年 | WRC | ![]() |
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アルピーヌ・ルノーA110 1800 |
1974年 | ![]() |
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ランチア・ストラトス HF | |
1975年 | ![]() |
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ランチア・ストラトス HF | |
1976年 | ![]() |
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ランチア・ストラトス HF | |
1977年 | ![]() |
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フィアット・131・アバルト | |
1978年 | ![]() |
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フィアット・131・アバルト | |
1979年 | ![]() |
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ランチア・ストラトス HF | |
1980年 | ![]() |
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ポルシェ・911 SC | |
1981年 | ![]() |
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ランチア・ストラトス HF | |
1982年 | ![]() |
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ルノー・5 ターボ | |
1983年 | ![]() |
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ランチア・ラリー037 | |
1984年 | ![]() |
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ランチア・ラリー037 | |
1985年 | ![]() |
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ルノー・5 マキシターボ | |
1986年 | ![]() |
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プジョー・205ターボ16 | |
1987年 | ![]() |
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BMW・M3 | |
1988年 | ![]() |
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フォード・シエラ RS コスワース | |
1989年 | ![]() |
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ランチア・デルタ インテグラーレ | |
1990年 | ![]() |
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ランチア・デルタ HF インテグラーレ 16V | |
1991年 | ![]() |
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トヨタ・セリカ GT-FOUR | |
1992年 | ![]() |
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ランチア・デルタ HF インテグラーレ エボルツィオーネ | |
1993年 | ![]() |
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フォード・エスコート RS コスワース | |
1994年 | ![]() |
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トヨタ・セリカ ターボ 4WD | |
1995年 | ![]() |
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トヨタ・セリカ GT-FOUR | |
1996年 | W2L | ![]() |
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ルノー・メガーヌ マキシ |
1997年 | WRC | ![]() |
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スバル・インプレッサ WRC |
1998年 | ![]() |
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スバル・インプレッサ WRC | |
1999年 | ![]() |
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シトロエン・クサラ キットカー | |
2000年 | ![]() |
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プジョー・206 WRC | |
2001年 | ![]() |
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シトロエン・クサラ WRC | |
2002年 | ![]() |
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プジョー・206 WRC | |
2003年 | ![]() |
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スバル・インプレッサ WRC | |
2004年 | ![]() |
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フォード・フォーカスWRC | |
2005年 | ![]() |
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シトロエン・クサラ WRC | |
2006年 | ![]() |
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シトロエン・クサラ WRC | |
2007年 | ![]() |
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シトロエン・C4 WRC | |
2008年 | ![]() |
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シトロエン・C4 WRC | |
2009年 | ![]() |
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プジョー・307 WRC | |
2011年 | IRC | ![]() |
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プジョー・207 S2000 |
2012年 | ![]() |
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ミニ ジョン・クーパー ワークスWRC | |
2013年 | ERC | ![]() |
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プジョー・207 S2000 |
2014年 | ![]() |
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フォード・フィエスタRRC | |
2015年 | WRC | ![]() |
ミイカ・アンティラ | フォルクスワーゲン・ポロR WRC |
2016年 | ![]() |
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フォルクスワーゲン・ポロ R WRC | |
2017年 | ![]() |
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ヒュンダイ・i20クーペ WRC | |
2018年 | ![]() |
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フォード・フィエスタ RS WRC | |
2019年 | ![]() |
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ヒュンダイ・i20クーペ WRC |
- 1996年はFIA2リッターワールドカップ (W2L) として開催。
最多優勝回数
2回以下は割愛
- 6回: ベルナール・ダルニッシュ(うち1970年はWRC創設以前)、ディディエ・オリオール
- 4回: セバスチャン・ローブ
- 3回: ピエール・オルシーニ、ジャン=クロード・アンドリュー
脚注
- ^ "IRCツール・ド・コルス、全島を巡るルートに回帰". RALLY PLUS.NET.(2011年4月2日)2013年12月14日閲覧。
- ^ "WRX STI R4のアイグナーがプロダクションカップ優勝". SUBARU MOTOSPORT.(2012年)2013年12月14日閲覧。
- ^ "奴田原文雄の2011年モータースポーツ漫遊記 ツールドコルス編". ADVAN MOTORSPORT.(2011年6月17日)2013年12月6日閲覧。
- ^ RALLY PLUS編集部/ラリープラス [@rallyplus] (2017年4月6日). "【ニャオキのホゲホゲWRC@コルシカ日記】" (ツイート). Twitterより2020年7月26日閲覧。
- ^ "[第2レグ速報]1997世界ラリー選手権(WRC)第6戦ツール・ド・コルス". 三菱自動車.(1997年)2013年12月14日閲覧。
外部リンク
- ASACC Tour de Corse - Site de l'Automobile Club de la Corse (ASACC)
- rallybase.nl - World Rally Championship Seasons(英語)
- ewrc-results.com - Tour de Corse (英語)
ツール・ド・コルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 12:54 UTC 版)
島の一般道を閉鎖して行われるラリーは『ツール・ド・コルス』と呼ばれ、1956年から毎年開催。1973年から行われているWRC(世界ラリー選手権)のラウンドにも組み込まれている。「直線が200mあったらコルスではない」とまで言われる、カーブだらけで荒れた路面のテクニカルなターマック(舗装路)ラリーコースとして数々の名場面を生み出している。 山岳地帯を縫うように走る断崖路で行われるこのイベントでは、ワークスドライバーであってもしばしば大事故を引き起こす。グループB時代の1985年・1986年には、2年連続でランチアのワークスドライバーが死亡。1985年には、ランチア・ラリー037を駆るアッティリオ・ベッテガが立ち木に衝突して死亡。1986年には、ランチア・デルタS4を駆るヘンリ・トイヴォネンがコースオフで崖から転落し、木に衝突した瞬間に起きた発火・爆発で死亡している。これらの事故は、グループBカテゴリ消滅のきっかけとなった。他にも1997年には、この年のワールドチャンピオンである三菱のトミ・マキネンが路上に出てきた牛に衝突し、崖下に転落してリタイアしている。
※この「ツール・ド・コルス」の解説は、「コルシカ島」の解説の一部です。
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