ニュルブルクリンク24時間レースとは? わかりやすく解説

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ニュルブルクリンク24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 00:47 UTC 版)

ニュルブルクリンク24時間レース
開催地 ニュルブルクリンク・ノルドシュライフェ
スポンサー企業 ラヴェノール
初開催 1970年
耐久時間 24時間
最多勝利
(ドライバー)
ティモ・ベルンハルト (5)
ペドロ・ラミー
マルセル・ティーマン
最多勝利
(チーム)
マンタイ・レーシング (7)
シェラー・スポーツPHX
最多勝利
(マニファクチャー)
BMW (20)

ニュルブルクリンク24時間レース(ニュルブルクリンク24じかんレース、24 Hours Nürburgring)はドイツニュルブルクリンクで毎年開催されるADAC主催の自動車レース。24時間で走行する距離を競う耐久レースである。毎年5月から6月の初夏に開催される。日本では「ニュル24時間レース」や「ニュル24耐」といった略称で知られている。

イベントの正式名称は、大手損害保険会社のチューリッヒ保険冠スポンサーとなっていたことから「ADACチューリッヒ24時間レース」(ドイツ語: ADAC Zurich 24h Rennen)であったが、2019年からは石油会社のトタルがスポンサーとなり「Total(Energies) 24h Nuerburgring」、2024年からは潤滑油メーカーのRAVENOLが冠スポンサーとなり「ADAC RAVENOL 24h Nuerburgring」となった。

概要

BMW・M3レクサス・LFA(2010年)
フォルクスワーゲン・ゴルフ (2011年)など、スポーツカーに限らず多様な車種が毎年参戦する

元々はADACが主催するローカルイベントであったが第1回のレースが開催されると人気が集まり、現在ではヨーロッパ中どころか世界中に中継されるビッグイベントとなっている。2024年からはインターコンチネンタルGTチャレンジの1戦となり、総合首位を争うSP9クラスが更に激戦区となった。

参加チームの多さ、コースの規模、観客数、24時間というレース時間の長さなどの点から、イベント規模はレース界随一である。

参加するチームは非常に多く、例えば2007年は合計228チームがレースに参加した。台数が多いため1つのピットを最大6チームでシェアしたり、スタートをグループに分けるといった措置が取られる。給油も複数のマシンが1台の給油機をシェアする体制になっており、給油ノズルには普通のガソリンスタンドにあるガンタイプのものを用いる。SP9クラスのようなクイックチャージャー装備の車の場合でも、それに対応する給油機がないため、クイックチャージャーの差し込み口を持つ漏斗状のアタプターを用いたり、蓋をクイックチャージャー用ではなく普通の蓋に改造したりして対処している。

コースの起伏は激しく、照明のない夜間も走行しなければならず、狭いコース幅にアマチュアを含めた200台以上が走行するため、レースの危険性は高い。そのため、参加者はプロ・アマを問わず、ニュルブルクリンク北コースで開催されるニュルブルクリンク耐久選手権英語版(NLS、旧VLN)での完走実績を要求される他、英語で出題される筆記試験に100点満点で合格しなければならない。また合格後も抜き打ち指名でのテストがある[1]

コース

ニュルブルクリンク北コース
コースレイアウト

競技は、ドイツ北西部ラインラント=プファルツ州 ケルン南方のニュルブルクにあるサーキット「ニュルブルクリンク」で行われる。予選は北コースのみで行うが、決勝レースは北コースとGPコースを連結して使用し、スタート/ゴールラインやピットはGPコースを利用する。

オールドコースとも呼ばれる北コースは荒れた路面や連続するコーナーの過酷さに定評がある。北コースをアクセル全開で一周走ると一般公道を800km走るのと同程度のダメージを受けると言われる。そのため、レース後半になると目に見えるダメージを負ったり、そこをテープなどで補修したマシンが目立つようになる。かつては、フォーミュラカー[2]ドイツグランプリF1ドイツグランプリの走路であったが、フォーミュラーカーの車高が下がり凹凸の少ない路面に最適化されると使用されなくなった。

コースが巨大であることから気象条件が一定ではなく、ある地点は日照により完全にドライな路面であるのに、別の地点では濃霧や強雨・雹になることがある。そのため、タイヤ選択が難しく、1周が長いことから判断ミスが致命的な遅れにつながることがある。

山中のコースであり、しばしば濃霧が発生する。2021年にはナイトセッション中に濃霧により事故が多発したことから赤旗が提示され夜間の走行が中断された。夜が明けても濃霧が解消せず、結局14時間30分にわたってレースを中断している。

2024年にはレース開始から7時間15分時点で濃霧から赤旗、そのまま14時間15分の中断を経たものの天候が好転せず、5周のフォーメーションラップ後に23時間5分経過時点でレースが打ち切られている。

現在では車載カメラなど技術が発達しているが、それらの技術が無い時代は悪天候や夜間には、事故が起きても状況困難は非常に困難であった。

他のレースでは「最初にレースの先頭車両が24時間経過後コントロールラインを通過した後に、コントロールラインを通過した時点でゴール」というルールの場合が多いが、1周が長い本レースでは「レースの先頭車両の通過を問わず、24時間経過後にコントロールラインを通過するとゴール扱い」としている。ただしトップと同一周回の車両は、他レースと同様にファイナルラップ宣言を受けた周を消化する必要がある。すなわち、トップより前にコントロールラインを通過すると、ゴールまでにさらに1周回する必要がある。本レースはその過酷さから完走するだけでも実績として扱われる。そのため、上位争いに関係なくなったチームは、規定時間直前にはスローダウンしてトップを前に行かせる形で周回調整することがある。

他にも天候の不安定さからスリックタイヤへの溝彫り加工、テープ補修でリペア完了扱いとする、トラブルでコース内に停車してレッカーによる搬送を受けてもリタイヤ扱いにならない等、本レース独特のレギュレーションも多い。

参加チーム・車両

ホンダ・シビックハイブリッド(2007年)

参加チームが極めて多いことが特徴である。総合優勝を狙うワークスから、個人的レースに臨むプライベーターなど、実に100以上のチームが毎年参戦している。

参加車両も多彩で、BMW・M3ポルシェ・911GT3などのような本格派スポーツカー以外にも、ヒュンダイ・クーペホールデン・コモドアフォルクスワーゲン・シロッコルノー・クリオに至るまで様々な車両が参戦している。中には修理跡のあるようなプライベーターの車両や、往年の名車(MiniBMW・320isなど)も参加していた。

2011年からはレギュレーション変更により、製造後10年以上経過した車両は参加が出来なくなった。しかし、オペル・マンタの屋根に「尻尾」をつけたチームなど、長期間同一車種で参加しつづけたチームがあり、これらは大会の伝統やアイドルとされ主催者推薦枠として参加していた(このマンタは2024年より前座のクラシック2.4時間レースへと移行)。

ハイブリッドカーディーゼル車天然ガス車も参戦しており、トヨタ・ハリアーハイブリッド(2005年)、ホンダ・シビックハイブリッド(2007年)、ポルシェ 911 GT3 R Hybrid(2010年)、BMW・320d(1998年 総合優勝)、フォルクスワーゲン・シロッコ GT24-CNG(2009〜2011年)といった車種が参加したことがある。

日本勢

日産

日産・GT-R GT3(2014年)

ニュルブルクリンク24時間レースに初めて日本のチームが参戦したのは1990年NISMOで、スカイラインGT-R(R32)でグループNクラス優勝を果たし、翌年も連覇した。

2011年には日産・GT-Rを使用してドイツの地元チーム「シュルツ・モータースポーツ」が参戦し、TVゲームグランツーリスモの開発者である山内一典らの運転でSP8Tクラスのクラス優勝(総合36位)を飾った。2012年にはGTアカデミーチームの山内一典らが運転するGT-Rが同クラスで再びクラス優勝(総合30位)した。また同年には水野和敏率いるGT-Rの市販車開発チームが、GT-Rの開発の一環としてNISMOを介さず、ほぼ市販車のままのGT-Rで参戦するという異例の参戦がされた。

2013年はシュルツ・モータースポーツがグループGT3仕様のGT-RでSP9 GT3クラス参戦するが、エンジン交換を伴うトラブルなどでクラス22位(総合136位)に終わった。2014年にはGTアカデミー・チームRJNとシュルツで合わせて3台のGT-R GT3が参戦し、山内らが駆るシュルツのクラス11位(総合14位)が最高順位であった。

2015年はRJNとシュルツで2台が参戦。ル・マン24時間レースの演習も兼ねたドライバー編成のRJNが、GT3参戦後の最高位となる総合9位でフィニッシュした。2016年はRJNが3台で参戦し、ノントラブルで走り切って総合11位であった。

2017年・2018年は参戦が途絶えていたが、2019年にはタレントの近藤真彦が監督を務めるKONDO RacingがGT3仕様のGT-Rで参戦する。

トヨタ / レクサス

レクサス・LC(2018年)

2007年に当時の副社長であった豊田章男とその師匠である成瀬弘が独自に組織した「Gazoo Racing」が、ニュルブルクリンク耐久選手権(VLN)を含めて毎年参戦している。参戦初年度の2007年は「Team Gazoo」としてトヨタ・アルテッツァ2台で出走し、110号車が総合104位(SP3クラス14位)、109号車が総合110位(SP3クラス16位)で完走している。2008年はレクサス・IS(IS250のMT車)を投入し(当年はVLNのみ出場)、2009年には当時コンセプトカー段階であったレクサス・LFA(当時は「LF-A」表記)を開発を兼ねて持ち込み話題を呼んだ。翌年の2010年にはSP8クラスでクラス優勝(総合18位)を飾り、2012年にも同クラスでクラス優勝(総合15位)を飾っている。また同年にはトヨタ・86も初参戦し、SP3クラスでクラス優勝(総合46位)している。

2014年はSP8クラスにレクサス・LFA、SP3クラスにトヨタ・86が参戦したのに加え、さらに同年より新設されたSP-PROクラスにはLFAをベースとした次世代のスポーツカー技術の研究用車両である「LFA Code X」が参戦、このGAZOO Racingの3台はすべてクラス優勝を果たし「完全制覇」を達成した。

2016年には市販前であったクロスオーバーSUVC-HRを参戦させ、2018・2019年にはSP-PROクラスに研究開発用のレクサス・LCを参戦させるなどトヨタのニュルブルクリンクでの活動は、勝利することを目標とする世界ラリー選手権(WRC)・世界耐久選手権(WEC)に比べて車両開発・人材育成の要素が強い。

プライベーターでは、岐阜県レクサス専門チューニングショップのNOVELがチームを組織して2016年から市販車のIS FRC Fで参戦し、2018年にはクラス2位と3位を獲得した[3]。2019年にはRACING PROJECT BANDOHとのジョイントで、最高峰のSP9クラスにRC F GT3で挑戦する。またトヨタ・チーム・タイランドカローラ・アルティスC-HRで2014年から参戦している。

スバル

スバル・WRX STI S206(2012)

スバルテクニカインターナショナル(STI)が2008年からWRX STIで参加(総合14位・クラス2位)したのが始まりである。スバルが2009年に世界ラリー選手権(WRC)から撤退して以降は、ニュルブルクリンク24時間レースがSTIの欧州における主要活動に取って代わっている。またGAZOO Racing同様、メカニックは全国のディーラーから選んでおり、人材育成の面も強い。

2011年にSP3Tクラスでクラス優勝(総合21位)[4]、翌2012年にも同クラスを連覇した(総合28位)[5]。2013年はマシントラブルでクラス2位(総合28位)、2014年には接触とペナルティでクラス4位に終わったが[6]2015年にはクラス優勝(総合18位)を取り返した[7]。2016年も勝って連覇するが[8]、2017年は接触や炎上によりリタイアし、3連覇を逃した[9]。 2018年にはSP3Tクラストップの予選タイムを叩き出して決勝レースをスタートし、1時間ほど順調に走ったものの、パワーステアリングのオイル漏れが発生してピットイン、1時間弱のタイムロスとなるだけでなく、クラストップを明け渡してしまう。またスタートから5時間経過後にはパドルシフトの作動不良、騒音規制オーバーによる失格を防ぐために、エンジン回転数上限を抑制した。途中雨の夜という悪条件下でAWDの力を見せつけ、ラップタイムはハイパワーエンジンを積んだGT3マシンの何台かよりも速かった。その後ゴールまで残り1時間というタイミングで突然のスローダウン、オフィシャルの手により車両はピットに戻りトラブルの原因は不明という状況だった。メカニックの懸命の作業により疑わしき部品を交換してなんとかコースに復帰し[10]、クラス2位のVW「ゴルフ」に13周もの大差をつけて勝った[11]。2019年はマシントラブルもアクシデントもなく、前年同様クラス優勝(総合19位)、3度目の連覇を果たした[12]

ファルケン

FALKEN MOTORSPORTS TEAMの日産・フェアレディZ(2008年)

1999年からタイヤメーカーのオーツタイヤ[13]が、N1耐久シリーズのチャンピオンチームを母体とした「FALKEN MOTORSPORTS TEAM」を結成して参戦を継続している[14]。車種は1999年がR33型日産・スカイラインGT-R2000年はGT500仕様トヨタ・スープラ2001年以降は毎年R34型日産・スカイラインGT-Rスーパー耐久仕様の改造車で、特に2002年は総合5位に入賞する活躍ぶりを見せた。2005年と2006年は一度活動を休止したが、2007年から日産・フェアレディZで復帰。

2011年からはベース車両をポルシェ・911 GT3Rに変更して2018年現在まで参戦継続中であり、2014年には総合4位入賞を果たした[15]。また欧州法人は他のニュルブルクリンク24時間レース参戦チームへのタイヤの供給も行っている。

クラス

参戦車両は大まかに24hSpecial、VLNSeries、Cupの3分類に分けられる。総合優勝を狙うワークス勢は24hSpecial内のSP9クラスに属する。

  • 表記は2024年度のもの。
  • 2009年度からエンジンの排気量が1,750cc以上の車両でないと参戦出来ないように変更された(SP1・SP2が廃止、またSP2Tも1,350~1,500ccの車両は特認が必要)。
  • 以前はディビジョンという形で分類されていたが、現在は区分けが存在しない。
排気量、過給器の有無でSP1からSP8(ターボ付きはT)までに分類されるほか、特別クラスとして過去のSP9車両を使うSP9-LG、試作車両や試作エンジンを使うSP-Pro、特任車両となるSP Xも存在する。
SP9、SP10、SP8Tは2009年度に発足した新しいクラス。
SP9はグループGT3、SP10はGT4、SP11はGT2の規定に準拠した車両のクラス。性能調整は独自のものとなっている他、この3クラスに参戦する選手はFIAのドライバーカテゴリーを取得する必要がある。またGT4車両は一定の条件を満たせばSP8T、TCR車両はSP3Tにもエントリー可能。
TCR車両もGroup TCRとして公認された。
表記:SP2T〜SP11、SP-X、SP-Pro
V2〜V6はNLS(ニュルブルグリンク耐久シリーズ)の規定に準拠した車両のクラス。
ATは環境エンジン搭載等の代替燃料を用いるクラス。
CUPはそれぞれワンメイクレース用の車両、年度によってどの車両がこちらに分類されるかは異なる。
車両クラス
クラス 排気量下限 cm3 排気量上限 cm3
24h Special
SP 2T (ターボ) 1,350 1,750
SP 3 1,750 2,000
SP 3T (ターボ) 1,750 2,000
SP 4 2,000 2,500
SP 4T (ターボ) 2,000 2,600
SP 5 2,500 3,000
SP 6 3,000 3,500
SP 7 3,500 4,000
SP 8 4,000以上
SP 8T (ターボ) 2,500 4,000
SP-PRO 3,000
SP 9 (FIA-GT3) FIA-GT3 ホモロゲーションに準拠
SP 9-LG GT3ホモロゲーション番号36以前の車両
SP 10 (SRO-GT4) SRO-GT4 ホモロゲーションに準拠
SP 11 (SRO-GT2) SRO-GT2 ホモロゲーションに準拠
SP X 特別に承認されたもの
AT
AT (代替燃料)
VLN Series Cars
V 2 1,750 1,800
V 2T(ターボ) 前輪駆動、後輪駆動で別クラス 1,600 2,000
V 3 1,800 2,000
V 3T(ターボ) 2,000 3,000
V 4 2,000 2,500
V 5 2,500 3,000
V 6 3,000 3,500
カップカー
CUP 2 911(Type992)カップカー
CUP 3 718ケイマン(Type982)カップカー
M240i M240i Racing カップカー
GROUP TCR WSC-TCR公認車両

歴代優勝車/チーム

開催年月日 ドライバー 車両 チーム
1970 ハンス=ヨアヒム・スタック
クレメンス・シケンタンツ [1]
BMW・2002 TI BMW Tuning
1971 Ferfried Prinz von Hohenzollern
Gerold Pankl
BMW・2002 アルピナ
1972 ヘルムート・ケレナース
Gerold Pankl
BMW・2800 CS アルピナ
1973 ニキ・ラウダ
ハンス=ペーター・ヨイシュテン
BMW・3.0 CSL アルピナ
1974 オイルショックのため中止
1975
1976 Fritz Muller
Herbert Hechler
Karl-Heinz Quirin
ポルシェ・911カレラ
1977 Fritz Muller
Herbert Hechler
ポルシェ・911カレラ
1978 Fritz Muller
Herbert Hechler
Franz Geschwendtner
ポルシェ・911カレラ Valvoline Deutschland
1979 Herbert Kummle
Karl Mauer
ヴィンフリート・フォクト
フォード・エスコート Cavallo Matras
1980 Dieter Selzer
Wolfgang Wolf
Matthias Schneider
フォード・エスコートRS2000 Berkenkamp Racing
1981 Helmut Doring
Dieter Gartmann
Fritz Muller
フォード・カプリ Gilden-Kolsch
1982 Dieter Gartmann
クラウス・ルートヴィッヒ
クラウス・ニーヅビーズ
フォード・カプリ Eichberg Racing
1983 コース改修工事のため中止
1984 Axel Felder
Franz-Josef Brohling
Peter Oberndorfer
BMW ・635 CSi Auto Budde Team
1985 Axel Felder
Jurgen Hammelmann
Robert Walterscheid-Muller
BMW・635 CSi Auto Budde Team
1986 Markus Oestreich
オットー・レンシング
ヴィンフリート・フォークト
BMW・325i Linder Rennsport
1987 クラウス・ルートヴィッヒ
クラウス・ニーヅビーズ
スティーブ・ソパー
フォード・シエラコスワース Eggenberger
1988 Edgar Doren
Gerhard Holup
Peter Faubel
ポルシェ・911カレラ
1989 エマニュエル・ピロ
ロベルト・ラヴァーリア
ファビアン・ジロワ
BMW・M3(E30) Team Bigazzi
1990 アルフリート・ヘーガー
ヨアヒム・ヴィンケルホック
フランク・シュミックラー
BMW・M3 Evo.2(E30) Linder Motorsport
1991 ヨアヒム・ヴィンケルホック
クリス・ニッセン
アルミン・ハーネ
BMW・M3 Evo.2(E30) シュニッツァー・モータースポーツ
1992 ジョニー・チェコット
クリスチャン・ダナー
Jean-Michel Martin
マルク・デュエツ
BMW・M3 Evo.2(E30) Team Bigazzi
1993 Tonico de Azevedo
フランツ・コンラット
Ornulf Wirdheim
Frank Katthofer
ポルシェ・911カレラ Konrad Motorsport
1994 Karl-Heinz Wlazik
Frank Katthofer
Fred Rosterg
BMW・M3(E36)
1995 ロベルト・ラヴァーリア
マルク・デュエツ
アレクサンダー・ブルグスタラー
BMW・320i Team Bigazzi
1996 Johannes Scheid
サビーネ・レック
Hans Widmann
BMW・M3(E36) Scheid Motorsport
1997 Johannes Scheid
サビーネ・レック
Hans-Jurgen Tiemann
ペーター・ザコウスキー
BMW・M3(E36) Scheid Motorsport
1998 マルク・デュエツ
Andreas Bovensiepen
クリスチャン・メンツェル
ハンス=ヨアヒム・スタック
BMW・320d シュニッツァー・モータースポーツ
1999 ペーター・ザコウスキー
Hans-Jurgen Tiemann
クラウス・ルートヴィッヒ
マルク・デュエツ
ダッジ・バイパーGTS-R ザクスピード
2000 ベルント・マイレンダー
ミハエル・バルテルス
ウーヴェ・アルツェン
アルフリート・ヘーガー
ポルシェ・911GT3-R Porsche Zentrum Koblenz
2001 ペーター・ザコウスキー
ミハエル・バルテルス
ペドロ・ラミー
クライスラー・バイパーGTS-R ザクスピード
2002 ペーター・ザコウスキー
ロベルト・レヒナー
ペドロ・ラミー
クライスラー・バイパーGTS-R ザクスピード
2003 マヌエル・ロイター
ティモ・シャイダー
マルセル・ティーマン
オペル・アストラ V8クーペ OPC Team Phoenix
2004 ディルク・ミューラー
ヨルグ・ミューラー
ハンス=ヨアヒム・スタック
ペドロ・ラミー
BMW・M3 GTR(E46) BMWモータースポーツ
2005 ペドロ・ラミー
Boris Said
Duncan Huisman
アンディ・プリオール
BMW・M3 GTR(E46) BMWモータースポーツ
2006 ルーカス・ルーア
ティモ・ベルンハルト
マイク・ロッケンフェラー
マルセル・ティーマン
ポルシェ・911GT3-MR マンタイ・レーシング
2007 マルク・リープ
ティモ・ベルンハルト
ロマン・デュマ
マルセル・ティーマン
ポルシェ・911GT3-RSR マンタイ・レーシング
2008 マルク・リープ
ティモ・ベルンハルト
ロマン・デュマ
マルセル・ティーマン
ポルシェ・911GT3-RSR マンタイ・レーシング
2009 マルク・リープ
ティモ・ベルンハルト
ロマン・デュマ
マルセル・ティーマン
ポルシェ・911GT3-RSR マンタイ・レーシング
2010 ヨルグ・ミューラー
アウグスト・ファルフス
ウベ・アルツェン
ペドロ・ラミー
BMW・M3 GT2 BMWモータースポーツ
(シュニッツァー・モータースポーツ)
2011 マルク・リープ
ティモ・ベルンハルト
ロマン・デュマ
ルーカス・ルーア
ポルシェ・997GT3-RSR マンタイ・レーシング
2012 マルク・バッセン
クリストファー・ハーセ
フランク・スタップラー
マルクス・ヴィンケルホック
アウディ・R8 LMS ultra アウディ・スポーツ
(チーム・フェニックス)
2013 ベルント・シュナイダー
イェロン・ブレーケモレン
シーン・エドワーズ
ニッキー・ティム
メルセデス・ベンツ・SLS AMG GT3 AMG チーム・ブラックファルコン
2014 クリストファー・ハーセ
クリスチャン・マメロウ
レネ・ラスト
マルクス・ヴィンケルホック
アウディ・R8 LMS ultra フェニックス・レーシング
2015 クリストファー・ハーセ
ニコ・ミュラー
エドワード・サンドストローム
ローレンス・ヴァントール
アウディ・R8 LMS ultra アウディ・スポーツ
(チーム・WRT)
2016 マーロ・エンゲル
ベルント・シュナイダー
アダム・クリストドゥールー
マヌエル・メッツガー
メルセデスAMG・GT3 AMG チーム・ブラックファルコン
2017 コナー・デ・フィリッピ
クリストファー・ミース
マルクス・ヴィンケルホック
ケルヴィン・ヴァン・デル・リンデ
アウディ・R8 LMS ランド・モータースポーツ
2018 ニック・タンディ
フレデリック・マコヴィッキィ
パトリック・ピレ
リヒャルト・リーツ
ポルシェ・911GT3 R マンタイ・レーシング
2019 ピエール・カッファー
フランク・スティップラー英語版
ドリエス・ヴァントール
フレデリック・ヴェルビッシュ
アウディ・R8 LMS Evo フェニックス・レーシング
2020 ニック・キャッツバーグ
アレクサンダー・シムズ
ニック・イェロリー
BMW・M6 GT3 Rowe Racing
2021 マッテオ・カイローリ英語版
ミカエル・クリステンセン
ケビン・エストレ
ポルシェ・911 GT3 R マンタイ・レーシング
2022 ロビン・フラインス
ケルヴィン・ヴァン・デル・リンデ
ドリス・ヴァントール
フレデリック・ヴェルビッシュ英語版
アウディ・R8 LMS Evo2 アウディスポーツ・チーム・フェニックス
2023 アール・バンバー
ニック・キャッツバーグ
フェリペ・フェルナンデス・レーザー英語版
デビッド・ピッタード英語版
フェラーリ・296 GT3 フリカデッリ・レーシングチーム
2024 リカルド・フェラー英語版
デニス・マーシャル英語版
クリストファー・ミース
フランク・スティップラー
アウディ・R8 LMS Evo2 シェラー・スポーツPHX英語版
2025 アウグスト・ファルフス
ジェッセ・クローン英語版
ケルヴィン・ヴァン・デル・リンデ
ラファエル・マルチェッロ
BMW・M4 GT3 Evo ローヴェ・レーシング英語版

脚注

  1. ^ 木下隆之のクルマ・スキ・トモニ 勉強より運転の僕らがいまさら・・・・汗
  2. ^ 正確には最低地上高
  3. ^ NOVEL RACING
  4. ^ スバル WRX STI、念願のクラス優勝 ニュル24時間で”. レスポンス. 2021年12月23日閲覧。
  5. ^ ニュル24時間、アウディ R8 LMSが念願の初制覇…日本勢はLFAが過去最高の15位”. レスポンス. 2021年12月23日閲覧。
  6. ^ 【ニュル24時間 2014】決勝ダイジェスト 後編…レクサス LFA CodeXが総合11位と好成績、優勝はアウディ[写真蔵]”. レスポンス. 2021年12月23日閲覧。
  7. ^ STI ニュルブルクリンクへの挑戦
  8. ^ 【ニュル24時間 2016】スバル WRX STI、クラス2連覇を達成”. レスポンス. 2021年12月23日閲覧。
  9. ^ 【ニュルブルクリンク24時間】SUBARU STI WRX 炎上の影で何が起きた?
  10. ^ 【ニュル24時間】総合優勝はポルシェ911GT3 R、スバルはクラス優勝…ラスト1時間の大波乱”. レスポンス. 2021年12月23日閲覧。
  11. ^ 【ニュル24時間】雨の夜に見せたSUBARUの速さ、そのワケはAWD”. レスポンス. 2021年12月23日閲覧。
  12. ^ NÜRBURGRING 24H RACE”. SUBARU. 2021年2月23日閲覧。
  13. ^ オーツタイヤは2003年(平成15年)7月1日、住友ゴム工業に吸収合併されて解散したが、ファルケンのブランド名はそれ以降も住友ゴム工業のブランドとして存続中。
  14. ^ 「ニュルブルクリンク24時間レース」でFALKENモータースポーツチームの「ポルシェ 911 GT3 R」が総合4位入賞 - 住友ゴム工業 2014年7月1日
  15. ^ 2014年は過去最高位となる総合4位入賞

関連項目

外部リンク


ニュルブルクリンク24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:25 UTC 版)

トヨタ自動車のモータースポーツ」の記事における「ニュルブルクリンク24時間レース」の解説

ニュル耐久レース始めて参戦したのは、1973年セリカ1600GTが初であった6時耐久であったこのレースには、後に豊田章男人生の師となる成瀬弘ドライバーとして参戦していた。ピットガレージ用意してもらえず、傘をさして屋外作業するなど過酷な環境中2リットルクラスで優勝総合6位)し、会場から拍手巻き起こった。なおこのセリカ同年スパ24時間にも参戦しクラス優勝総合9位)を獲得している 2005年にはハイブリッドカーレクサス・RX400h参戦完走させることに成功した2007年にはTeam Gazooとして当時トヨタ副社長である豊田章男社員だけで構成されチーム率いてSP3クラスアルテッツァRS200二台で参戦当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らず活動続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴ2010年から使われている。 2008年には発売前のLFAがSP8クラス参戦以降2009~2011年LFAの2台体制参戦2010年クラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンCEOベッツと章男は親交深め2012年VLNコラボレーション参戦や、トヨタ・iQベースにしたアストンマーティン・シグネット誕生実現している。 20122013年LFAを1台に減らし代わりにこの年発売となった86を2台採用した2013年LFAがSP8、86SP3クラス優勝飾った2014年LFA86各1台に加えてLFA特別仕様車LFA Code X」がSP-PROクラス参戦。3クラス全ての参戦車両クラス優勝収めた2015年LFA Code XレクサスRCの二台体制で、LFA Code X前年引き続きクラス優勝した2016年レクサス・RCRC-F加え2005年以来となるSUVC-HR Racing参戦。これに市販車C-HR開発責任者乗り込み燃料計算のミスなどはあったものの完走半年後の発売向けて実りあるテストになった2017年はSP3TクラスRC一台のみで参戦スバル・WRXアウディTT RS2との三つ巴戦いの中、スバル上回るクラス2位を獲得した2018年はSP-PROクラス研究開発目的レクサス・LC投入トラブル見舞われながらも完走果たした

※この「ニュルブルクリンク24時間レース」の解説は、「トヨタ自動車のモータースポーツ」の解説の一部です。
「ニュルブルクリンク24時間レース」を含む「トヨタ自動車のモータースポーツ」の記事については、「トヨタ自動車のモータースポーツ」の概要を参照ください。

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