AMAスーパーバイク選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/14 02:59 UTC 版)
![]() 2004年のレースから | |
カテゴリ | スーパーバイク |
---|---|
国・地域 | アメリカ合衆国 |
開始年 | 1976年 |
終了年 | 2015年 |
最終 ライダーズ チャンピオン |
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最終 マニュファクチャラーズ チャンピオン |
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AMAスーパーバイク選手権(エーエムエースーパーバイクせんしゅけん、英: AMA Superbike Championship)は、オートバイによるモータースポーツ。AMA(全米モーターサイクル協会)が主催していたロードレース全米選手権。一国レベルの選手権としては世界最高のレベルと規模を誇る。伝統の一戦であるデイトナ200マイルも当選手権に含まれている。2015年から開催されているMoto America ロードレーシングシリーズの前身。
概略
1970年代のアメリカでは"フォーミュラ750"というレースが存在していたが、2ストロークのヤマハ・TZ750が完全に制圧しており、"フォーミュラ・ヤマハ"と揶揄されるレベルで独占状態であった。そのため、車種の豊富な4ストロークエンジン車によるレースが考案され、当選手権が開催されることとなった。
日本での放送はなくDVDが稀に発売される程度で知名度は高くないものの、当選手権が日本のスーパーバイク発展に与えた影響は計り知れないものがある。また当選手権のコンセプトが欧州にも持ち込まれたことで、今日のスーパーバイク世界選手権(WSBK)に発展しているなど、いち国内選手権としては過ぎるほどに歴史的に重要な役割を果たしている。
同シリーズ出身で欧州でも活躍したものは多く、MotoGP王者のニッキー・ヘイデンとスーパーバイク世界選手権王者のベン・スピーズの二人はその最たる例である。しかし近年はそうした者が少なくなっており、ガラパゴス化に危機感を抱いたAMAがFIM(国際モーターサイクル協会)と提携し、2015年に同シリーズを"MotoAmerica"へと改名したことで一つの時代を終えている。
日本人の参戦者は黎明期はそこそこおり、宗和孝宏が1993年ルーキーオブザイヤーを獲得している。近年では2005年に民辻啓がスーパーストッククラスに参戦している。
ポイントシステム
- 1位-30、2位-25、3位-21、4位-18、5位-16、6位-15…20位-1、PP-1
歴代チャンピオン
年 | ライダー | メーカー |
---|---|---|
1976年 | レグ・プリッドモア | BMW |
1977年 | レグ・プリッドモア | カワサキ |
1978年 | レグ・プリッドモア | カワサキ |
1979年 | ウェス・クーリー | スズキ |
1980年 | ウェス・クーリー | スズキ |
1981年 | エディ・ローソン | カワサキ |
1982年 | エディ・ローソン | カワサキ |
1983年 | ウェイン・レイニー | カワサキ |
1984年 | フレッド・マーケル | ホンダ |
1985年 | フレッド・マーケル | ホンダ |
1986年 | フレッド・マーケル | ホンダ |
1987年 | ウェイン・レイニー | ホンダ |
1988年 | ババ・ショバート | ホンダ |
1989年 | ジャミー・ジェームズ | スズキ |
1990年 | ダグ・チャンドラー | カワサキ |
1991年 | トーマス・スティーブンス | ヤマハ |
1992年 | スコット・ラッセル | カワサキ |
1993年 | ダグ・ポーレン | ドゥカティ |
1994年 | トロイ・コーサー | ドゥカティ |
1995年 | ミゲール・デュハメル | ホンダ |
1996年 | ダグ・チャンドラー | カワサキ |
1997年 | ダグ・チャンドラー | カワサキ |
1998年 | ベン・ボストロム | ホンダ |
1999年 | マット・ムラディン | スズキ |
2000年 | マット・ムラディン | スズキ |
2001年 | マット・ムラディン | スズキ |
2002年 | ニッキー・ヘイデン | ホンダ |
2003年 | マット・ムラディン | スズキ |
2004年 | マット・ムラディン | スズキ |
2005年 | マット・ムラディン | スズキ |
2006年 | ベン・スピーズ | スズキ |
2007年 | ベン・スピーズ | スズキ |
2008年 | ベン・スピーズ | スズキ |
2009年 | マット・ムラディン | スズキ |
2010年 | ジョシュ・ヘイズ | ヤマハ |
2011年 | ジョシュ・ヘイズ | ヤマハ |
2012年 | ジョシュ・ヘイズ | ヤマハ |
2013年 | ジョシュ・ヘリン | ヤマハ |
2014年 | ジョシュ・ヘイズ | ヤマハ |
2015年 | キャメロン・ボービエ | ヤマハ |
2016年 | キャメロン・ボービエ | ヤマハ |
2017年 | トニ・エリアス | スズキ |
2018年 | キャメロン・ボービエ | ヤマハ |
2019年 | キャメロン・ボービエ | ヤマハ |
2020年 | キャメロン・ボービエ | ヤマハ |
2021年 | ジェイク・ガニェ | ヤマハ |
2022年 | ジェイク・ガニェ | ヤマハ |
2023年 | ジェイク・ガニェ | ヤマハ |
2024年 | ジョシュ・ヘリン | ドゥカティ |
外部リンク
AMAスーパーバイク選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 23:09 UTC 版)
「ホンダ・CB-F」の記事における「AMAスーパーバイク選手権」の解説
1980年 - 1982年のAMAスーパーバイク選手権にアメリカン・ホンダ・モーター(American Honda Motor)(現・ホンダ・ノースアメリカ(Honda North America, Inc.)はCB750Fベースに初期段階でRS1000のエンジンを搭載する運用を行っていたが、スプリントではエンジン出力不足や多発するトラブルにも悩まされたため1982年シーズンでは以下の対応を行った。 BMWでもチューナーを務めていたユドー・ギードルを筆頭にMike Velasco・美藤定をメカニックとして招聘し、クランクケースやバルブスプリングなど一部パーツを除いた全ての部位に独自のチューニングを施し、最高出力をおよそ150 PS / 13,000 rpmまで向上させたエンジンへ移行するなど大きな改革を行った。 エンジン潤滑のドライサンプ変更・乾式クラッチ・Jet製チタンバルブならびにコンロッド・ドイツクローバー社製CDI点火装置のほか、燃料供給装置にはドラッグレース用に開発されたフラットバルブキャブレターのクイックシルバーを装着 。フレームは元々レギュレーション上で補強のみ認められていたが、当時はどのチームも秘密裏にオリジナルフレームへの換装が常態化していたためレギュレーションに抵触するもののクロームモリブデン製オリジナルとした。 ライダーに#19 Freddie Spencer・#43 Mike Baldwin・#88 Roberto Pietri・#38 Steave Wizeを投入。 この結果、年間チャンピオンこそ獲得はならなかったもののデイトナ・インターナショナル・スピードウェイのレースでは1位 #19 Freddie Spencer2位 #43 Mike Baldwin・3位 #88 Roberto Pietriと表彰台を独占する成績を残した。同シーズンのシルバー基調にブルーラインをあしらったカラーリングは、フレディ・スペンサーカラーとして本田技研工業の代表的レプリカカラーともなった 。 2014年現在でスペンサーが乗ったマシンは栃木県芳賀郡茂木町のツインリンクもてぎ内に併設するホンダコレクションホールで展示されている。
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