レプリカヘルメット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 07:34 UTC 版)
平は映画「汚れた英雄」の頃から赤、黒、白のヤマハワークスカラーを大胆に配色したデザインのヘルメットを着用していた。平はそのデザインについて、自分の好きな配色で、AMAスーパーバイク選手権のライダーのデザインを参考にしてアライヘルメットへ依頼したと述べている 人気、実力共に急成長を遂げると共に、アライからは平のデザインを模した「タイラ・レプリカ」が販売され、ヤマハ系のライダーを中心に爆発的ヒットを飛ばす。デザインは年代により帽体の変更などのため多少変化した。 1984年までは「汚れた英雄」と同様のデザインであったが、1985年に耳下のあたりのデザインを変更。1987年は所属チームのマールボロのロゴマークの幅に合わせて額の赤ラインを太くした。またエアダクトが新設されたことにより口元のデザインも変更。赤ラインが太くなったデザインは1988年まで使われたが、1989年より再び細いラインに戻された。 1987年にベースとなる帽体が「ラパイド」から変更されたためデザインを小変更したが、緒戦となる日本GPだけはシールド下のデザインが異なっている。ベストセラー商品ならではの試行錯誤がうかがえる。 また、頭頂部の赤いラインがイベントによって別の色となる場合があった。 黄色 - 通称「U.S.インターカラー」。1984年デイトナ200マイルレースに使用。1985年鈴鹿8耐でもケニー・ロバーツの黄色に合わせて使用し、クリスチャン・サロンと組んだ1986年も継続した。平は「憧れの存在であるロバーツと色を揃えたかった」と述べている。 蛍光レッド - マールボロ・ヤマハからWGPに参戦した時に使用。マシンに合わせ赤色を派手な蛍光レッドとした。 青色 - 資生堂TECH21カラーバージョン。1989年の鈴鹿8耐と同年の全日本選手権TT-F1クラス(YZF750の開発によるスポット参戦)で使用。WGP500ccクラスではTECH21カラーのときであってもヘルメットだけは赤が多かった。 なお、1987年に全日本250ccクラスチャンピオンを獲得したホンダワークスの清水雅広は、平のデザインをアレンジしたようなヘルメットを被っていた。
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