1982年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 02:41 UTC 版)
「マクラーレン・MP4/1」の記事における「1982年シーズン」の解説
1979年終盤に引退したニキ・ラウダが復帰。ワトソンは昨年からの継続となった。1年をかけて熟成させたMP4/1の改良型であるので、この年4勝を上げ、トップチームへの復帰を果たした。また、ワトソンがタイトル争いに絡むも、信頼性に関してはいまだに難があり、両ドライバー合わせて11回ものリタイヤを喫した。最終的に途中から欠場したディディエ・ピローニと同点の3位に終わった(ピローニと同ポイントだが、上位入賞回数の差で、ピローニが2位、ワトソンが3位となった)。
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1982年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:56 UTC 版)
1982年はホンダが新たに軽量コンパクトな2ストロークV型3気筒エンジン搭載のNS500を実戦投入。片山はNR500からNS500に乗り換えてみて、自身のライディング技術が落ちていることを実感した。「ヒラリング」の技術が落ちていたのだ。以前片山はホンダCB250RSの宣伝をしているときに「ヒライヒラリの感覚」と語っていたのだが、その感覚がNR500の3年間で鈍麻していたのだ。それでも第10戦スウェーデンGP(アンデルストープ・サーキット)では優勝し、1975年の金谷秀夫以来、日本人2人目の500ccクラス優勝を飾る。第13戦サンマリノGP(ムジェロ・サーキット)でもファーステストラップを叩き出し、フレディ・スペンサーよりも速いラップタイムで走ることができた。ただ片山の場合は調子を上げてきてトップクラスの速さになったに過ぎず、フレディなどのように常にトップクラスの速さを維持できる状態には至っていなかった。 このシーズンのWGP500ccクラスはライダーとレース主催者との間で一波乱あった。第3戦フランス(ノガロ)が、片山も含めてほとんどのワークスライダーにボイコットされた。その理由は、ノガロの路面状態が悪く安全上問題があり、またパドックの状態も悪いためであった。 1982年シーズンの片山の戦績は以下のとおり。 Rd. グランプリサーキット500ccクラスの結果1 アルゼンチン ブエノスアイレス 6位(全力で走っての結果) 2 オーストリア ザルツブルクリンク 9位(周回遅れになる) 3 フランス ノガロ レースをボイコット 4 スペイン ハラマ 6位 5 イタリア モンツァ 7位 6 オランダ(ダッチTT) アッセン 8位 7 ベルギー スパ・フランコルシャン リタイア 8 ユーゴスラビア オパティヤ 5位 9 イギリス シルバーストン リタイア 10 スウェーデン アンダーストープ 優勝 11 サンマリノ ムジェロ ファステストラップを出したが、転倒リタイア 12 西ドイツ ホッケンハイム 18周
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1982年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:20 UTC 版)
「ロータス・91」の記事における「1982年シーズン」の解説
開幕戦には前年に使用した87の改良版である87Bを使用。91は第2戦ブラジルGPから投入された。ドライバーは、前年に引き続きエリオ・デ・アンジェリスとナイジェル・マンセル。デビュー戦はマンセルが5位でフィニッシュし、レース後に1・2位の2台が失格となり繰り上がりで3位に入賞した。第4戦サンマリノGPは、他のFOCA系チームと共に欠場した。 カナダGPでの負傷により欠場したナイジェル・マンセルの代役として、第9戦にはロベルト・モレノが、第11戦にはジェフ・リースがスポット参戦したが、モレノは予選落ちでリースが12位完走という結果に終わった。 第13戦オーストリアGPでは、エリオ・デ・アンジェリスが僅か0.05秒差で追いすがるケケ・ロズベルグを抑えて優勝した。これはロータスにとって1978年第13戦以来4年ぶりの勝利であると共に、シーズン後に急逝する創設者コーリン・チャップマンにとって最後の勝利となった。 シーズン終了後の12月には、全日本F2選手権チャンピオンとなった中嶋悟が、JPSトロフィーに優勝した特典としてドニントン・パークにて91をテスト走行させている。また、1983年の夏に富士スピードウェイで開催されたF1フェスティバルでも中嶋悟が91を運転している。
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