1982年メキシコ債務危機とは? わかりやすく解説

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1982年メキシコ債務危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:46 UTC 版)

メキシコ」の記事における「1982年メキシコ債務危機」の解説

1970年代石油価格高騰を受け、石油投資ブーム発生したまた、賃金アメリカよりも安いことから、製造業工場移転による投資増えていた。国際金融市場行き交うマネー急増し利益を得るために発展途上国への融資をどんどん行っていた。ちょうど1995年前後1ドル100円水準円高を受け、日本から東南アジア工場移転し東南アジア諸国投資急増したのに似ている投資は、アメリカ金融機関にとって、比較安全なものと判断されていた。ドルメキシコ・ペソ固定相場であり、当時当国石油公社電力会社国営であったため、メキシコ政府による債務保証つけられていた。国家破産するずがない信じられていた時代である。アメリカより金利が高いため、アメリカで資金調達し当国投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。そういう事情により、メキシコ対外債務急増していった。債務利払い石油輸出による代金賄われていた。ところが、1980年代になるとアメリカ金利上昇したため、対外債務利払い増大しさらなる融資が必要となったが、財政負担能力超えていた。1982年8月利払い一時停止モラトリアム)を宣言する羽目になり、国民急激なインフレーション失業増大によって苦しんだ当時対外債務は870億ドルであったメキシコ危機が特にアメリカメガバンク与え影響大きいため、IMFとアメリカ合衆国財務省、メガバンク・シンジケートにより救済措置がとられた。「大きすぎて潰せない有名な事件となったネルソン・バンカー・ハント破産させたばかり出来事であった1982年利払い分に相当する80ドルを緊急融資実行され翌年には70ドル追加融資が行われた。さらに、債務返済するため、厳し措置なされた石油公社電力会社民営化はもちろん、貿易自由化などを強要する条件で、IMFをはじめとする国際金融機関との合意なされた。このメキシコ債務危機以降同様の措置が、発展途上国債務危機の発生した場合適用されることとなる。 危機脱出後は再び資金戻ってきたが、新規投資資金ではなくカルロス・スリムのようなメキシコ人富裕層アメリカ流出させたマネーであった。このマネー民営化された国営企業銀行購入資金となった売却され国営企業資産価値売却額よりもはるかに高かったため、メキシコ債務危機終わって見ると、一部富裕層がさらに裕福となり、大半国民がより貧乏になるという結果もたらした。ここで大もうけした人たちが、経済改革徹底的に行い、再びアメリカ日本など外国から資金集めることに成功し、再び対外債務増加していった。

※この「1982年メキシコ債務危機」の解説は、「メキシコ」の解説の一部です。
「1982年メキシコ債務危機」を含む「メキシコ」の記事については、「メキシコ」の概要を参照ください。

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