メキシコ政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 22:31 UTC 版)
1844年当時のメキシコ大統領はサンタ・アナで、テキサスの併合は「宣戦布告に等しい」と警告していた。テキサスに関しては主戦論に凝り固まっていた彼は、駐米メキシコ大使を通して「併合したら即開戦」との通告を与えていた。タイラーの併合への動きを見て、サンタ・アナはテキサス進軍のための戦費調達と徴兵を強引に推し進めたがこれは国内の不評を買った。イギリス、フランス両国による戦争回避とテキサス共和国承認の説得を一時は受け入れつつあったサンタ・アナであったが、政変により1844年12月に失脚し、国外追放を命じられてキューバへと逃亡する。 サンタ・アナの後継は穏健リベラル派のホセ・ホアキン・デ・エレラで、彼は当時メキシコで少数派の戦争回避の論者であった。彼のもとでメキシコ政府は、1845年5月、かねてよりイギリス、フランス両国から働きかけられていたテキサス共和国の承認の意向を固めた。しかし時勢は止められず、1845年7月、テキサス共和国議会はメキシコの承認のオファーを拒絶し、55対1の圧倒的な票差で米国との合併を承認することになった。
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