メキシコ来訪と作風の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 06:19 UTC 版)
「深沢幸雄」の記事における「メキシコ来訪と作風の変化」の解説
1951年(昭和26年)から10数年は不自由な生活を強いられ、このことがきっかけで肉体的に負担が大きい油絵からサイズの小さい銅版画の世界に入った。 4歳年上の駒井哲郎や7歳年上の浜田知明の作品に影響を受け、1954年(昭和29年)から銅版画を独学で学ぶと、1957年(昭和32年)には日本版画協会展で協会賞を受賞し、1958年(昭和33年)には版画部春陽会賞を受賞した。1962年(昭和37年)には第5回現代日本美術展で優秀賞を受賞した。 1963年(昭和38年)には、外務省所属のOPIC機関であるメキシコ国際文化振興会に銅版画技法の指導を依頼され、3ヶ月間の間、メキシコシティへ赴く。メキシコはそれまで木版画が中心であり、深沢はサン・イポリット尼僧附属修道院において銅版画の講義・実演を行い、学生の中にはメキシコ大学サン・カルロス美術学部教授であったルイス・ニシザワも加わっていた。 深沢はメキシコ来訪中にテオティ・ワカンのピラミッドやヴィエルモッサ、サンクリストーバル、オァハカ、モンテ・アルバンなど各地の遺跡を訪れ、メキシコの歴史・風土から受けたイメージをスケッチブックに詩として記録した。作品はそれまでのモノクローム中心であったのに対し、形状が単純化され、文字や記号・紋章などが描かれ、鮮やかな色彩が加わった作風の変化が指摘される。1967年の《闖入者》では朱色でメキシコを現し、その中にエルナン・コルテスを意味する青色とキリスト教を意味する十字架を描き加え、メキシの歴史解釈をイメージした作品も制作した。 1994年(平成6年)にはメキシコの文化勲章であるアギラ・アステカを受章している。1972年(昭和47年)には第2回フィレンツェ国際版画ビエンナーレでバンコ・デ・ローマ賞を受賞した。
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