1982年サンマリノGP
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:42 UTC 版)
「チームオーダー」の記事における「1982年サンマリノGP」の解説
FOCA系チームの大量欠場もあり、わずか14台でのレースとなった中、地元フェラーリ勢が1位ジル・ヴィルヌーヴ、2位ディディエ・ピローニの順で1-2走行を続けていた。3位以下とは大差がついており、かつコンストラクターズポイントに影響がないことから、チームは無用なバトルを避けて順位を保持するように指示。ところがピローニがこれを無視してヴィルヌーヴを追い抜き、最終的に優勝してしまう。これにより両ドライバーの確執は頂点に達し、次戦ベルギーGPでの悲劇の遠因となってしまう。
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