シトロエン・クサラとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 乗り物 > > シトロエンの車種 > シトロエン・クサラの意味・解説 

シトロエン・クサラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 08:46 UTC 版)

5ドア前期型
5ドア後期型
リア(5ドア前期型)

クサラXsara)はフランスの自動車メーカーシトロエンが生産していた小型大衆車。1997年にZXの後継として誕生し、2006年まで生産された。後継はC4である。

概要

ZXの後継モデルとして1997年に登場。ZXと同じく、親会社のプジョー・306と共通の設計を持つ(正確にはZXが306の母体となっている)。ハイドロニューマティックサスペンションは装備されていない。

ボディはZX同様3ドアハッチバック、5ドアハッチバックそして5ドアステーションワゴンの3種が用意され、一部市場で3ドアは「クーペ」ワゴンは「ブレーク」とネーミングされた。 エンジンラインナップはいずれも直列4気筒で1,400cc/1,600cc/1,800cc/2,000ccのガソリンエンジンと、1,600cc/1,900cc/2,000ccのディーゼルターボエンジンがあり、欧州市場での主力は後者であった。

日本には1,600cc/1,800cc/2,000ccのガソリンエンジン車が正規輸入された。輸入元は当初は新西武自動車販売で、後にシトロエン・ジャポンに移行した。

1998年にはアイルランドSemperit Irish Car of the Yearを受賞している。

歴史

  • 2000年 - マイナーチェンジを受け、ヘッドライトやフロントグリル、ステアリングホイール形状などの変更の他、前後トレッドの10mm拡大や、新デザインの15インチホイールの採用などにより操縦安定性や衝突安全性も改善された。
  • 2002年 - 内装小改良。2003年にフロントバンパーなど外装の小改良を実施。
  • 2004年末 - C4のデビューに伴いラインナップを整理。
  • 2006年 - 最後まで生産が継続されていたブレークが生産終了。

この時代、フランスではLPG自動車ブームが起こり、年率500%の伸びを示していた。フランスの自動車メーカー各社は全ラインナップにLPG仕様車を設定し、欧州他国のメーカーや日本車もフランス向けにはLPG仕様車を投入していた。クサラも他のシトロエン車と同様に、LPガスとガソリンの切り替え式仕様車が用意されていた。2009年現在では、オブションでLPG仕様に仕立てている。なお、フランスの表記ではLPGはGPLとなる。

クサラ・ピカソ

1999年に登場したコンパクトMPV。エンジンはガソリン1.6L、1.8LとディーゼルHDi 2.0Lの3種で、トランスミッションはマニュアルのみだった。セニック同様、フランス、イギリスをはじめとするヨーロッパ市場で大人気モデルとなる。生産はスペインビーゴ工場の他フランスエジプトブラジルでも生産された。

2004年3月にマイナーチェンジが実施され、内外装に小変更を受けたほか、ガソリン2.0L 16Vエンジンと4段オートマチックが 追加。日本にはこのマイナーチェンジ後の4段オートマチック・右ハンドル仕様のみが正規導入された。2006年8月に後継C4ピカソが登場したが、その後も一部市場向けに継続生産されている。

モータースポーツ

クサラ・キットカー(1998年)
クサラT4(2000年)
クサラWRC(2004年)

1994〜1996年にZXを模したマシンでパリダカ(ダカール・ラリー)を3連覇していたシトロエンであったが、メーカーによるグループT3(プロトタイプ)の参戦が禁止されたため、新たな戦場を探す必要があった。そこで当時人気復活の様相を呈し始めていたラリーへと転戦することとなった。

シトロエンはF2キットカー規定に従い1997年に前輪駆動+1.6L自然吸気エンジンのサクソ・キットカーを、1998年には前輪駆動+2.0L自然吸気エンジンのクサラ・キットカーを開発。後者をルノープジョーがワークス参戦から撤退した後の1998年フランスラリー選手権に投入し、以降フィリップ・ブガルスキーが2000年まで3年連続でチャンピオンを獲得した。さらにクサラ・キットカーはWRC(世界ラリー選手権)でも極めて軽量なワイドボディとハイテク制御を武器に、ターマックに特化したマシンとして活躍。四輪駆動+2.0LターボエンジンのWRカー(ワールドラリーカー)規定の車両と同等以上の走りを見せ、1999年にはラリー・カタルーニャツール・ド・コルスでシトロエン初のWRC総合優勝を達成した。

F2キットカーで活躍するさなか、親会社のプジョーとの兼ね合いで社内で争いながらも活躍の場をWRカーに移すことを決め、ツール・ド・コルスでの勝利の数日後には四輪駆動+ターボのクサラの開発を開始[1]。2000年のフランス選手権において試作車となるクサラT4を投入し熟成を重ね[注釈 1][2][3]2001年クサラWRCとしてWRCにデビュー。初年度の2001年はターマック3戦、グラベル1戦の限定的な参戦だったが、シーズン終盤のツール・ド・コルスでスペイン人のヘサス・ピュラスが早くも初優勝。2002年伝統のラリー・モンテカルロではセバスチャン・ローブが1位フィニッシュするも規定違反で2位降格となったが、そのポテンシャルの高さはライバルたちを震撼させた。この年はシーズンの過半数のイベントに参戦し、ローブがラリー・ドイチュラントで優勝した。

十分なマシンの熟成を経た後の2003年からフル参戦。ドライバーはローブとカルロス・サインツのダブルエース体制となる。初年度から2005年までマニュファクチャラーズタイトル3連覇、ドライバーズでもローブが2004年から2006年まで3年連続チャンピオンを達成。通算では28回のイベント優勝を記録した。また2005年ツール・ド・コルスでローブは、全SSトップタイムという空前絶後の記録を打ち立てた。

クサラはルーフが低いことに加えてホイールベースは長め[注釈 2]で、それでいてリアオーバーハングも短く、フロントはダウンフォースを稼ぐ空力デザインを可能にするだけの余裕を持つなど、WRカーとしての素性の良さは全車両中トップクラスであった。また強力なパワーを発揮したXU7JP4エンジンや、エクストラン・テックと共同開発したオーソドックスなデザインのダンパーも評価が高かった。開発責任者のジャン=クロード・ボカール[注釈 3]の「考えうる限り最もシンプルな機構を巧妙なアイデアで実現する」という設計思想がよく現れており、機構的に革新的と言えるものはほとんど無いが[注釈 4]、極めて基本に忠実な設計と熟成度・信頼性の高さで十分にカバーできていた。唯一フル参戦初年度の2003年から装備された油圧リンクアンチロールバー[注釈 5]のみが画期的な機構として注目された。

前輪駆動のクサラ・キットカーで得た知見を元に製作されたこのマシンは、ターマック育ちの南欧系のドライバーたちと抜群のマッチングを見せており、ターマックでのタイヤの摩耗はエンジニアが息を呑むほど少なかったという[4]。一方でコントロール幅は少なく精度の高いドライビングを要求されるマシンであり、後輪駆動寄りの特性を好むドライバーからは「ピーキーで乗りづらい」とも評された。そこにドライバーの慣れの少なさも手伝って、グラベルのような滑りやすい路面でのコントロール性で弱さを見せており、最初のうちはグラベルラリーで後れを取ることが多かったが、後にドライバーとマシンの両方の進歩により克服された[5]

2006年はシトロエンがクロノス・レーシングを支援する形のセミワークス参戦に切り替えた。2005年から開発リソースを次期型車両(C4 WRC)のために注ぎ込んだため開発はほぼストップしていたが[注釈 6]、保守的な設計ながら熟成されたサスペンションを持つクサラはローブの優れたドライビング技術も合わさって、相変わらず高い戦闘力を発揮。同年からコスト高騰の原因になるハイテク制御や凝った機構は禁止され、ライバルが強さの秘訣と疑っていた油圧リンクアンチロールバーも失われたはずなのに前半5連勝という圧倒的な強さを示し、むしろライバルたちのほうがハイテク制御に頼っていることを証明してしまう形となった[6]。この年はローブが骨折で終盤4戦を欠場した影響でマニュファクチャラーズ選手権はフォードの手に落ちるが、ドライバーズは骨折するまで1位・2位でしかフィニッシュしなかったローブが大量得点によるリードを守りきり、たった1pt差でタイトルを防衛した。

2007年にシトロエンのワークス復帰とともにC4 WRCが登場して役割を終えたかに見えたが、2009年にプライベーターとして参戦したペター・ソルベルグイヴァン・ミュラーのマシンとしてWRCに再登場。基本設計は10年近く前の車両ながらソルベルグは2度表彰台を獲得し、素性の良さに間違いがなかったことが改めて確認されることとなった。

脚注

注釈

  1. ^ 本来フランス選手権は二輪駆動限定であったが、シトロエン・スポール代表のギ・フレクランはフランス自動車連盟に掛け合って「フランスラリーカー」なる特例カテゴリを設けさせて参戦した。2000年に市販車のマイナーチェンジに合わせて、ラリーカーもフロントの空力設計の変更を余儀なくされている。T4のTはターボ、4は4WDの意味。
  2. ^ スバル・インプレッサと同等
  3. ^ グループBの華となったプジョー・205 T16、前述のZXのダカール活動のエンジニアリングに深く関わった。クサラWRCの後継であるC4 WRCの開発責任者を務めたクサビエ=メステラン・ピノンはボカールの片腕的存在であり、設計思想も受け継いでいる
  4. ^ 当時画期的なレイアウトとされた縦置きギアボックスも用いておらず、オーソドックスな横置きエンジン・横置きギアボックスを採用した。これは縦置きギアボックスは重量増の割に重量配分に寄与しない上、駆動損失も発生するためだとしている
  5. ^ 1つのホイールに加わった外力を、他の3つのホイールに分散して、ロール時のシャシー全体のロードホールディングを向上させる構造。オーストリアのキネティック・サスペンション・システムズ社が開発し、リバースファンクションスタビライザー (RFS)と名付けられていた。メディアでは「パッシブ制御のスタビライザー」などとも呼ばれていた
  6. ^ 2005年はブレーキ冷却についてのいくつかの変更がされた程度。また2006年3月には、フロントバンパーの変更がされたクサラが最後の公認を取得している

出典

  1. ^ Aero evolution of the Citroën Xsara: from the Kit Car to the T4/WRC
  2. ^ 『WRC PLUS 2002 vol.01』P34
  3. ^ Aero evolution of the Citroën Xsara: from the Kit Car to the T4/WRC
  4. ^ 『WRCプラス 2004. Vol.2』P38-39 三栄書房刊
  5. ^ 『WRC PLUS 2012 Vol.5』P30-31
  6. ^ 『WRC PLUS 2006 Vol.4』P22-37

外部リンク

<- Previous シトロエン ロードカータイムライン 1980年代-   
タイプ 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7
ハッチバック 2CV
LN / LNA AX C1 I C1 II
ヴィザ サクソ C2
C3 I C3 II C3 III
DS3
C4エアクロス
GSA ZX クサラ C4 I C4 II
オープン DS3カブリオ
セダン BX エグザンティア C5 I C5 II
CX XM C6
ミニバン C15 ベルランゴ ベルランゴ II
C3ピカソ
クサラピカソ
C4ピカソ I C4ピカソ II
エバシオン C8 I C8 II C8 III
オフローダー メアリ
クロスオーバーSUV Cクロッサー
DS4
DS5
ハイブリッドカー C-ZERO
EV Eメアリ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シトロエン・クサラ」の関連用語

シトロエン・クサラのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シトロエン・クサラのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシトロエン・クサラ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS