ニュージョージア諸島への攻撃
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「ヘレナ (軽巡洋艦)」の記事における「ニュージョージア諸島への攻撃」の解説
1943年(昭和18年)1月、ヘレナは第67任務部隊(ウォルデン・L・エインズワース少将:軽巡ナッシュビル、セントルイス、ヘレナ、アキリーズ、ホノルル、駆逐艦フレッチャー、オバノン、ニコラスなど)として、ニュージョージア諸島の日本軍を攻撃する新任務に参加した。当時、日本軍はニュージョージア島西部ムンダと、コロンバンガラ島ヴィラ・スタンモーア地区に飛行場を建設中であった。ムンダ基地とコロンバンガラ基地の設営と警備を担当していたのは、第三次ソロモン海戦で戦艦ワシントンに撃沈された戦艦霧島艦長の岩淵三次大佐であった。 1月4日深夜から5日未明にかけて、第67任務部隊はムンダ飛行場に艦砲射撃をおこなった。そこそこの戦果を挙げて帰投中、零戦14と九九艦爆9の空襲を受ける。F4F戦闘機の掩護もむなしく、艦爆2機撃墜と引き換えに軽巡ホノルル (USS Honolulu, CL-48) が至近弾3を受け、軽巡アキリーズ(HMNZS Achilles)が直撃弾で中破した。ラバウル航空隊は接敵しなかった。 1月23日深夜から24日未明にかけて、エインズワース隊は再びニュージョージア諸島を襲った。ムンダ飛行場とコロンバンガラ飛行場に対して艦砲射撃をおこない、打撃を与えて基地建設を遅らせた。前夜、駆逐艦大潮(第8駆逐隊)と輸送船「第二東亜丸」がコロンバンガラ島に到着して日本陸軍飛行隊の機材や燃料などを揚陸していた。ヘレナ達の砲撃を目撃していた山代勝守大佐(当時、第8駆逐隊司令)は「第三次ソロモン海戦時の「鈴谷」と「摩耶」の飛行場砲撃よりはるかに美観だった」と回想している。この物件の焼失は、日本軍にとって大きな打撃となった。さらに飛行場はサラトガ艦上機にも襲われて被害が拡大し、ガ島撤収作戦開始までにコロンバンガラ基地は完成しなかった。また、ラバウル航空隊の陸攻は第67任務部隊を捕捉できなかった。山代は「大潮が島陰から躍りかかってエインワース隊に魚雷を発射しても、多勢に無勢で嬲り殺しにされただろう」と回想している。 ヘレナはニュージョージア島攻撃の傍ら、最終期に入ったガダルカナル島攻防戦で、哨戒と護衛任務を行った(レンネル島沖海戦)。ガ島撤退後の日本軍は中部ソロモン方面ニュージョージア諸島を防衛線とし、飛行場や砲台の建設を進めた。2月11日、ヘレナから発進したOS2U キングフィッシャーはサンクリストバル島南方で潜航中の伊18を発見し、発煙筒を投下したあと駆逐艦フレッチャー (USS Fletcher, DD-445) を呼び寄せ、フレッチャーの爆雷攻撃により伊18を撃沈した。アメリカ側は、この潜水艦を呂102だと思っていた。ヘレナはこの後、シドニーで修理を受けた。
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