ニュージョージア島方面の戦況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 15:58 UTC 版)
「ベラ湾夜戦」の記事における「ニュージョージア島方面の戦況」の解説
「ニュージョージア島の戦い」も参照 ニュージョージア島の戦況は一進一退の様相を示していたが、アメリカ軍は8月3日にはムンダ飛行場を占領した。これにより、隣接するコロンバンガラ島ヴィラ (ソロモン諸島)(英語版)にある日本軍飛行場は無力化されることになる。日本軍はヴィラを中心に約2,400名の陸兵を駐屯させていたが、ムンダ飛行場が制圧された現況では、その行く末も芳しくない事が予期された。コロンバンガラ島の日本軍第一線兵力は陸軍1400名・海軍600名に減少し、重火器もなく、完全に追い込まれていた。第八方面軍はコロンバンガラ島のさらなる防衛強化のため補充兵約1200名の増援を決定する(剛方作命甲第407号)。第六師団(司令官神田正種中将)から六個中隊からなるコロンバンガラ島向けの増援部隊と、残る二個中隊からなるブイン向けの残留部隊をラバウルから送ることにした。 輸送作戦は8月1日のコロンバンガラ輸送作戦とほぼ同じ顔ぶれで実施される事となったが、修理を必要とする天霧(三水戦、第11駆逐隊)の代艦として時雨(二水戦、第27駆逐隊)が警戒隊にまわり、代わって輸送隊には駆逐艦江風(二水戦、第24駆逐隊)が加入した。第三水雷戦隊旗艦の軽巡川内が司令官伊集院松治大佐直率の下、ブインへの輸送作戦に任じる事になった。杉浦司令は「コロンバンガラ輸送は敵の予期するところで危険が大きい。ベララベラ島に輸送して、そこからは大発動艇や海上トラックに切り替えるべき」「途中迄でも川内のような大艦が同行するのは、敵の警戒を増やすだけだ」として反対したが、上級部隊(南東方面艦隊、第八艦隊)の意向を受けた第三水雷戦隊司令部は却下している。作戦実施に際し、第三水雷戦隊司令部の先任参謀二反田三郎中佐が、萩風に乗艦した。
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